スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

グーグル検索が死んだ今

グーグル検索がコンテンツの内容を正当に評価しなくなったという評判がまあまああります。

確かに、ある程度条件を揃えれば、内容が詐欺のようなサイトでも検索順位を上位にする事ができるようです。企業のサイトの優先順位が高く、一般人が良質なコンテンツを提供していても劣悪な企業サイトの方が優先されるという話もありますね。

 

一般に私達は「何かを知りたい」時にグーグル検索を使います。一昔前ならググれカスなどと言われました。しかし、今はググる方がカスと呼ばれてしまうかも知れません。

 

クリティカルシンキングという言葉があります。

日本語に訳すと批判的思考という言葉になるようです。これは何事も鵜呑みにするのではなく、物事を様々な角度から批判的に捉えて考えるべきだという事です。

科学が重要だとも言われます。疑似科学批判の文脈で科学という言葉が使われる時には、主に検証の事を指しています。

検証を十分に経ていない知識は疑わしいという事です。クリティカルシンキングについても、科学リテラシーについても、詳しく解説しようとすると膨大な文量になってしまうので割愛します。

gomiblog.hateblo.jp

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厳密には科学の定義というのは総合判断であって、簡単な基準で判別できるものではないのですが(科学哲学の議論において詳しく解説されています)ここでは簡単の為に省きたいと思います。

 

私は最近、グーグル検索が死んだという話を受けて、こういう風に情報を確認しています。

 

①医学情

結論から言うと、これはかかりつけ医に聞くようにしています。納得いかない時はセカンドオピニオンを行います。医学論文を自分で読むという事は素人には難しいです。一応、英語が読めればpubmedで閲覧はできますが、専門外の人間が斜め読みした場合、多くの誤解が生じる可能性があります。専門家に尋ねるのが確実です。この意味で、科学というのは自分で検証できず、信仰するものだと批判する人もいますが、様々な利害関係がある専門家間でのコンセンサスは重要です。又、人間の判断が間違っている可能性についてエビデンスレベルを設けて批判検証するのが医学なので、集合知を馬鹿にしてはいけないと思います。

グーグル検索はゴミのような情報を表示する可能性がありますので、ネットで医学知識を得るのはおすすめしません。これは各種SNSも同じですし、テレビですら信用しない方が良いと私は考えています。

②生活に必要な情報

最近私の中で流行っているのが、そこそこ名の知れた出版社の中古の実用書を購入する事です。中古の実用書は驚く程に安く売っています。本体価格1円で、送料だけで届く場合も多くあります。最近は、家事一般が載っている「家事の基本大辞典」という実用書を買いました。変なブログやYouTubeで勉強するよりも、高品質の情報を得る事ができます。但し、この方法だと得られる知識が古い場合もありますし、そうした新規性が強く求められる分野の知識はこの方法では集めにくいでしょう。

ネットを使うのも良いですが、鵜呑みにするのではなく、様々なソースを用いて多角的に検証する必要があります。特に、取り返しのつかない判断をグーグル検索一発で決めたり、ChatGPTに委ねたりするのは危険です。

③法律

基本的に法律は公的な情報を直接得るのが一番です。又聞き知識で知った風になるとろくな事がありませんので、官庁の広報を見ましょう。

④その他の科学や哲学知識について

クリティカルな実証実験が行われていれば、それを参照します。但し、それが全ての場合に適用できるかどうかは分からないので、慎重になった方が良いでしょう。この意味で私の思考の枠組みは懐疑論に近いと言って良いと思います。

統計も参照しますが、統計データの読み方は専門家ではないと読み間違える可能性がありますし、それを過度に一般化するのも危険です。知識の普遍性については常に疑った方が良さそうです。

私は学者の本や文章で情報を得るようにしていますが、実験が難しかったり不可能な分野の知識に関しては全て(頭の中の)保留のボックスに入れています。その上で、自分が判断して決断しなければならない時には、色々な情報と自分の経験、感覚を比較検討して決める事にしています。そうでないと納得できない事が多いです。

学者でも間違った事を言う可能性はありますし、逆に素人が浅知恵で間違える事もあるので、最終的には自分で自分の決断の責任を引き受けるしかありません。誰もあなたの判断の責任を取ってくれないと思った方が良いでしょう。

多数派の判断、一般に民意とか世の中、世間とか呼ばれますが……を採用するという手もありますが、多数派が間違える可能性もあります。少数派が正しいとも限らないので逆張りが正しい訳でもありません。こうしたものは正しさより、快楽や利益を優先している可能性もあり、短期的には利益があっても長期的には落とし穴がある可能性も高いです。

企業とか官公庁であれば、その発言の責任を引き受けてくれるかも知れないですし、裁判を起こせば法的責任を追及できるかも知れないですが、一般に個人がそうした責任を引き受ける可能性は低いです。ですから、自分で物を考える必要があります。

しかし、勉強不足な人や専門家への尊敬が不足した傲慢な人が自分の頭で考えると疑似科学や詐欺、陰謀論に引っ掛かる可能性があります。

私が言っているのは、そういう場合もその決断の責任は決断者に帰属するという事なのです。ある意味では自己責任論ですね。

よく何かを人に広報した場合、その広報者の発言を追求する向きがありますが、仕事としてそれをやっている場合でない限り、ネットの書き込み等というものは全部、虚偽であると考えた方が良いです。虚偽という言い方が引っかかるなら、与太とか妄想と言っても良いかも知れません。全ての検証を経ていない知識は妄想であり、良く言っても仮説に過ぎません。

全ての人間が、個別にあらゆる疑問を検証する時間や費用はありません。ですから、できるだけ共有知を利用しながら、うまくやっていくのが文明です。

 

インターネットも、パソコンも、目的を達成する時に使われる事がある道具に過ぎないという事を忘れないでやっていきたいものですね。