スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

やる気、根性、気合いについて

元気があればなんでもできる!

なんて言うプロレスラーがかつていました。

不可能はない。不可能とは自分に限界を設けているだけだ。

なんて言う人もいました。

 

しかし、現実にこの世は元気だけでは解決できない問題があります。

不可能と言って良い事もあると思います。

絶対は無いという人もいますが、絶対に無理だと言いたくなる状況もあるでしょう。

そういう時に、無理だというのは言い訳だとか逃げだとか言われたらどんな気持ちになりますか?パワーハラスメントだと感じるかも知れません。

 

仕事が忙しい時、こんなのは無理だと言いたくなる状況もあるでしょう。

そういう時、あなたは気合いや根性でやる気を奮い立たせて頑張りますか?

それとも、一旦状況を整理して、何か他の方法を探そうとするでしょうか?

 

私が働いている職場は、体育会系のノリが強く、気合いや根性が語られる事もあります。肉体労働の度合いが強い職場程、そういう傾向があるかも知れません。

気合いや根性は大切だと思います。気合いで解決する場合もあるし、根性が物事を打開する場合もあると思います。しかし、いつも気合いや根性で物事を推し進めていたらどうですか?体はボロボロ、心は疲れ切ってしまわないでしょうか?

 

そもそもやる気というものは存在せず、やる気が無い時は疲れ切っているのだという説もあります。あるいは、やる気は先延ばしにする為の理由に過ぎず、初めてみないと「やる気」…作業興奮は起こらないという説もありますね。

 

やる気が出ない時には冷静になって物事を分析する必要があります。

例えば、危険で死んでしまう可能性が高いのに、給料が微々たるものしか貰えない仕事があったら、やる気が出ないでしょう。それは正常な事です。危険を減らすか、何らかのリスクに見合った報酬を要求して、仕事を可能な形に組み立てなければいけません。そういう時に気合いや根性に訴えるのは勇気ではなく、蛮勇であり、もっと言えば無謀だと思います。

 

体や心が万全で、特に危険が無いのにやる気が出ない問題なら、興味が湧かない事に理由があるのかも。どうしてもやらなければならない理由がないなら、一生懸命に取り組める他の仕事に打ち込んだ方が良いかも知れないですね。

 

とにかく私が言いたいのは、やる気が出ない時、気合いや根性に訴えるのは最後の手段だという事です。

 

例えば、コロナウイルスの感染の危険があるなら、感染対策をします。ワクチンを打ったり、マスクをします。手洗いうがいをし、密を避けて、会食を控えます。それでも、罹る時は罹るかも知れませんが、確率は下げられる筈です。

それを気合いや根性で乗り切ろうというのは間違いです。

 

確かに病は気からと言う言葉がある様に気の持ち方で病状が緩和される事もあるかも知れません。しかし、精神状態だけで病気が治るなら、この世の中で色々な病気に苦しむ人もいなくなる筈です。そうなっていないのは、気合いや根性だけで病気を乗り切るのは無理だからです。

 

何か重い物を持ち上げる時、知恵や道具の無い古代の人は、人力で持ち上げようとしたかも知れません。結果、沢山の人が下敷きにされて死んでしまったのかも知れません。だから知恵を使い、梃子の原理を利用したり、道具を発明して死傷者を減らそうとしたのではないでしょうか?

それを気合いや根性だけで解決しようとするのは、時代への逆行ですし、歴史を冒涜とまでは言いませんが、学んでいないと言えるでしょう。

 

大仕事に取り組む際には、先ず、安全を確保して無理のない計画を立てます。必要な人員と道具を調達して、準備がきちんと整ってから始めるものです。思った様に計画が理想通りに進まない事もあります。そういう時、限られた手札で進めなければならない状況もあると思います。しかし、そういう時にふと立ち止まって考えて欲しいのです。

 

そのやり方に無理はないか?もし失敗した時にどのような損失が出るのか?

昭和の時代に良く語られたスポ根的な考え方、気合いや根性ばかりに頼ったやり方の代償は大きいかも知れません。少なくとも、人が死んだら気合いで蘇らないですし、怪我も根性で無くなったりしません。死ぬ事以外かすり傷というのは強がりの言葉であり、寝たきりになってしまう場合だってあります。