スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

キリスト教のおかしい所

キリスト教は良く、こんな事を主張している。

 

①誰でもイエス・キリストを信じれば救われます。

②救いに条件はありません。

③世界中の人が救われる事を神は願っておられる。

 

もし、この三つを同時に言っている人がいたら私はこう突っ込みたくなる。

救いには条件がないというのは第一のイエス・キリストを信じる事と矛盾するし、世界中の人が救われる事を願っている神は何故、世界中の人にキリストを知らせなかったのかと。

今はインターネット等があるからそうでもないが、大昔はイエス・キリストを知らない人は無数にいた。フランシスコ・ザビエルが来る前、基本的に(景教を知っていた一部の知的階級以外は)日本人はイエス・キリストを知らなかった。先祖ないし、自然あるいは仏を崇拝していた。キリスト等知らなかった。今でも少数はそうかも知れない。又、他の宗教でキリスト教への改宗を禁じられている人もいる。無許可で信仰を持ったと言えば殺害されるケースもある。神は何故、そのような状況におかれている人に過酷な運命を強いるのか。

こういう事は殆ど真面目に考えられていない。キリスト教徒はそういう事に疑問を持たない。何故ならば、既に自分は「救われている」からである。人の事は関係ないのだ。

逆に、信仰を持っていない人や、他宗教の人はこう考える。キリスト教が間違っているか、神はいないのだと。神がいないとか、宗教にこだわらないとか考えるとある程度すっきりするので、殆どの人は生まれつきキリスト教に生まれるか、何か特別な事情があってキリストを信じない限りはキリスト教には入らない。

日本では9割以上が無宗教ないし仏教徒である。

しかし、キリスト教徒の言い分によると、キリストを信じていない人は地獄に落ちるのだという。これもおかしな話である。キリストを信じる事とはどういう事なのか訊ねるとこう言われる。信仰を持つ事を口で告白し、洗礼を受け、教会に通い又は献金し、神の命令を守って生きるのだと。では、イスラム圏の人はどうなるのか。イスラム法ではキリストを信じると死刑である。教会や洗礼はおろか、改宗は許されない。※いちおう、無許可でやっている地下教会というものがあるそうだが、基本的には死と隣り合わせなのである。

日本では信教の自由があるので、幸いにして信仰を持っていたとしても殺害される事はないけれども、仏教を信じている人からすれば、キリスト教の主張は噴飯物だろう。

キリスト教だけが、正しく生きていて、他の宗教や考え方の人々は悪いと言っている訳である。だが、実際にはキリスト教徒でも犯罪をする人もいるし、道徳的に優越しているとは限らない。そこで、最初の信じていれば良いに回帰するのだが、信じていれば行いは関係なく、神は天国に入れるのだろうか?これはかなり疑問符がつく考えではないだろうか。そもそも神などいないという立場からすればどうでも良いのだろうが、教訓とか寓意としても不出来だと思われる。

普通に考えれば、悪い事をしない方が良く、悪い事をした人は地獄に行くとか、少しでも善い生き方をして、善行と悪行の総量で判断されるとかがまっとうに思われる。

行動は無関係で、信じるだけで天国に入れるならラッキーだが、そんな上手い話があるのだろうか。実際に聖書を読むと、こういう言い分に反対する箇所もある。

行いがない信仰は死んだ信仰だとか、誰でも主よ、主よと呼ぶものが皆、天の国に入るのではないとか、他にもあるがそれは直接調べて欲しい。

仮にイスラム教の人が本当は神を信じていない、本物はイエス・キリストなのだとして信じると殺害されるのだが、それでも天国に行く為、地獄に落ちない為に信じろというのか。現世の幸せを断念し、死ぬ方が良いと言っているのである。これは殺害されない場所に住んでいる人だから言える寝言に過ぎない。

 

宗教は今でも神の名を問題にして争っている。本当に不毛に思う。もし、何々の神だけが真実だと言うのならば、何故その神は他の偽の神をやっつけて、本当の事を人間達に教えてくれないのだろうか。だから、多くの人が現代においては哲学や科学を通して神を信じなくなってきている。そもそも神とは何なのか。判然としない。

私は世界には何か第一の原因があると考えている。だからそれを神と呼ぶのならば、全く神を信じている。しかし、現代では多次元宇宙論の観点から、生物の誕生などは神的な絶対者を仮定しなくても偶然と無限回に近い試行(まあこれもこれで疑問はあるが)があれば世界は成立するとされる。(人間原理等に見られる考え方)

そして、世界中に広まっている神話は多種多様であり、どこまでが史実でどこまでが虚構か分からない。例えば聖書には化石、遺伝子、コンピューターも載っていない。複雑な方程式も、物理学の法則も載っていない。世界の全てが聖書に書かれている訳ではない。何故、聖書だけが真実だと言えるのか。根拠をもっとはっきり出すべきである。出来ないならば、それはそれで、信仰を強制するべきではない。挙げ句の果てに今のキリスト教徒の一部はワクチンを打つと死ぬとかこれは陰謀であるとか言っている。聖書にそんな事は一つも載っていない。彼らこそが悪魔に操られているのではないか。遺伝子生物学を学び直すべきである。

そもそも、信仰を強制する全ての宗教にはおかしな部分がある。法律と宗教が一体化しているイスラム教圏に関しては難しい問題だが、神が唯一で絶対という根拠がはっきりしていないのであれば、法律と宗教を一体化させるべきではない。そして、そういう教えは、他宗教の弾圧に繋がるので危険である。正しさが多元化していると社会が混乱するのは分かるが、人間は神ではなく間違えるので修正が効かない教え、法律は危険である。民主主義的観点からして、絶対主義、全体主義は警戒されて当然である。だから殆どの国では宗教と政治を分離したのである。宗教は、人間が神ではないので腐敗するからだ。

 

他にも言いたい事は無数にあるが、この辺にしておこう。一般に政治と宗教の話をすると嫌われる。私もそれは分かっているのだが、どうしても我慢ならない時があるので多めに見ていただきたい。申し訳ない。

 

 

 

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※続編を書きました。

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