学校や幼稚園、保育園でこんな風に言われた事はないだろうか?
「皆、仲良くしなさい」
しかし、私はそれは土台無理な話だと思う。
この世界は平等ではない。人は生まれながらにして平等ではない。
理想は全ての人に平等な人権が認められ、全ての人に機会が与えられるべきであるかも知れないが、事実として人間は平等に生まれてこない。(私自身は全ての人に基本的人権があると思っているけれども)
人は、生まれも育ちも、人種も宗教も異なる。経済的に裕福な人もいれば、そうでない人もいるし、容姿端麗な人もいればそうでない人もいる。先天的な障害がある人もいる。様々だ。
皆が仲良くする為には、皆に共通のルールが必要だと私は思う。
しかし、現代は多様性の時代だ。人それぞれ異なる価値観を持って良い事になっている。するとどうなるか。人それぞれ違う嗜好を相手に求め、まとまらなくなる。
お金持ちは身なりも綺麗で、毎日お風呂に入っているかも知れない。すると、身なりが汚れていて、お風呂に入っていない人を汚いと感じるだろう。彼らはそういう人を差別している感覚等微塵もない。
お風呂に入れない事情や、服が汚い事情を考えず、相手が怠惰であるから汚れていて、人に迷惑を掛けていると考える。そうして相手を糾弾する。相手側、貧乏な側はいじめられていると思い、裕福な側は正義を行っていると思っている。溝は深い。こういう類いのすれ違いが連続して、人々はぎすぎすしていくのである。
だから、私は仲良くする事より、喧嘩しない事の方が重要だと思った。
ある時、ミュージシャンの甲本ヒロトさんがこんな事を言ったと言う。
「学校で同じクラスになった人は、別に友達と言う訳ではない。同じ電車に乗り合わせた他人と同じだ。だから仲良くなんて出来ない。必要なのは喧嘩しない事だ」
正確ではないかも知れないが、この様な意味の事を言っていた。私は完全に同意する。
人生とは同じ電車に他人と乗り合わせて、終点である死に向かっていくようなものである。途中で揉め事を起こすと、強制的に電車から降ろされる。如何に電車の中で過ごしていくかが問われている。
電車の中で仲良しグループを作る事よりも、電車の中で大人しく過ごせる方が大切だ。
誰かと誰かの考えが近いとか、嗜好が合うという事は、別の誰かとは合わないという事と大体の場合セットである。すると、仲良しグループが仲の良くないグループを排除する。カーストである。そしていじめが起きてくる。だから仲良くする事はむしろ場合によっては有害である。コミュニティの内と外を作り出して、よそ者を排除するからだ。悪い事をした結果、嫌われていて無視されているのか。それとも何の落ち度もないのに、酷い目に遭わされているのか。外部の人間が判断するのは難しい。そして、一つも欠点が無い人間等いないので、問題は複雑だ。
私は学校でも甲本ヒロトさんの様な考えを教えるべきと思う。
理想は「皆、仲良く。全人類兄弟。話せば分かる」なのかも知れないが、それはあまりにも綺麗事過ぎるし、現実が見えていない。あまりにもニヒリスティックかも知れないが現実の、人それぞれの背景を見る場合、「皆、友達」と言う訳ではなく、他人であるというのは事実だ。
「他人、あるいは敵をどうすれば愛せるのか?」という事が宗教で深い問いとなる様に、又、哲学において「考え方が異なる人間と自分の自由をどの様に両立させるのか」が問われる様に、仲良くする為には、まず喧嘩しない事が必要だ。
ある考えA、例えば宗教が絶対に正しいとした場合、ある教えの外部に位置する考えBは間違いとなる。確かに、この世には間違った事や犯罪があるに違いない。しかし、出来るだけ、拘らなくて良い部分では寛容であるべきではないだろうか。人によって考え方は異なるし、物事の捉え方、理解は異なるので完全には相互理解は出来ないかも知れないが、その場合は棲み分けをすれば良い事で、揉めてどちらが上かを決める必要はない。それが戦争の元である。もし、神の意に反する罪が問題であれば、ほっておいても神が裁く筈である。神は何と言っているのか?例えば神を信じるキリスト教の聖書を読むとこう書いてある。
「裁いてはならない。私が裁く」
私がある老人に尋ねた所、人と友達になる為には「人を批判しない事と、困っている時に小さくても良いから助けてあげる事だ」と言っていた。
確かに、一理ある。初手で相手を批判する様な人と仲良くするのは難しいし、普通は避けるものである。私も気をつけなくてはいけない。
相手の批判するにも仲良くなってからだろう。相手が間違っている事をしているのならば、場所を選んで相手の問題点を指摘する必要があるかも知れない。友達だから多目に見るという人もいれば(友達でなくても寛容さは大切だが)友達だから問題を指摘して、悪い事をする前に止めるという人もいるだろう。
どちらにせよ、先ず仲良くする為には、裁いてはいけないのではないだろうか。
「仲良く」は内と外を作りだす。
善悪は確かにこの世にはあるとされているし、法律は実際に効力を持っている。
人に対して寛容である事と、人の行動の問題を批判したり指摘したりする必要がある場合がある。
簡単ではない。一筋縄ではない。
それでも、だからこそ、この問題について引き続き考えていきたい。