スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

代わり映えしない日常と過度の「健康」意識に潜む危険性

「終わりのない日常を生きろ」かつて誰かがそんな事を言った。

 

最近、私の毎日はあまり変化のない代わり映えのしないものとなっている。

近所を散歩したり、職場に行ったりで毎日が終わる。

節約しているので遠出をせず、買い物はネットショッピングを利用しているので当たり前なのだが、そんな毎日が続くと面白くない。

 

しかし、良い事もある。比較的頻繁に週末になると会う友達がいる。最近、又、別の人との交流も増えた。代わり映えのしない日常というのは、ある一点から見ると全く面白みのない詰まらないものだけれども、逆に言えば安定していて得がたいものである。感謝しなければいけない。

例えば、ウクライナでは未だに戦争が続いている。ロシアによって大勢の子供が連れ去られたとの報道もある。

トルコとシリアは少し前に大きな地震に見舞われた。シリアでは被災地域の反政府組織に対して空爆が為された。

他にも様々な理由で生活が困難な状況にある人は大勢いるだろう。

 

親ガチャという言葉がある。確かに人間は親を選べない。ガチャガチャで当たりが出たり出なかったりするように、酷い親に当たる人間もいるだろう。

親を敬えというが、中には子供を虐待死させてしまうような親もいるので、一般的な倫理観から来るアドバイスが全く当てはまらない人もいる。

ただ、日本に生まれた点で言えば、我々は国ガチャには大成功している。最高の国とは言えないかも知れないが、先進国に含まれているような比較的恵まれた国、それが日本である。

私はネット右翼ではないので手放しに日本最高とは思わないが、この国で生まれ生活出来る事を感謝している部分もある。カルト宗教とか、少子高齢化に伴う労働人口の減少等、この国にも様々な問題があるが、戦争中とか現時点で大きな災害に見舞われている訳でもないし、社会の問題は何らかの方法で改善出来るものもあるだろう。

私は愛国心というものはあんまりないと思うが、故郷を思い、守ろうという愛郷心や仲間や家族を守ろうという気持ちはあるので、もし日本が危機的状況に陥ったとしたらそれを脱却する為に頑張ろうとはするだろう。

 

一昨日書いた記事で私は、こんな意味の事を書いた。

gomiblog.hateblo.jp

「生き辛い監視社会を作り出すのは、権力者ではなくて私達一人一人である」

大きな政治の問題となると私達は簡単に対処出来ないけれども、社会を形作っているのは私達一人一人でもあるので、自分の置かれた状況は自分の一つ一つの過去の行動が形作っていると言えなくもないのである。(正しく生きていても酷い目に遭う人もいるけれども)

シンクグローバリー、アクトローカリーなんて言う事もある。世界の事を考えるならば、卑近な事から始めようという事だ。他人を変えようとするのならば、先ず自分の行動を見直していかなければいけない。自分に落ち度があるのに、他人の粗を責めるのは筋違いである。もの凄く広い意味では、自分の行動が世界を変えるという事も言えるのかも知れない。もちろん、自分中心に世界が動く訳ではないのだが。

 

色々な事が思い浮かぶが、ここにそれを羅列すると良く分からないまとまりのない文章になってしまうので、一つだけ取り上げようと思う。

 

最近、特に私が気になっている事は、少子高齢化に伴う労働人口の減少の問題である。

労働人口が減少すれば、社会のインフラを維持出来なくなり、私達は不便を強いられる事になる。介護の負担も大きくのし掛かっている。最近ではコロナウイルスに関して医療従事者が多大な負担を強いられている。私はその点については感謝しかない。だからワクチンを打つと死ぬ(人によってはアナフィラキシーが起きる場合もあるだろうし、少数の健康被害はないとは言えないし副反応は0ではないけれども)みたいな事を言って不必要な不安を煽る人々がどうしても好きになれない。(日本人の8割以上がワクチンを打っているので、もし高確率で死ぬのならば日本は既に滅んでいなければならない。)

少し脱線したが、少子高齢化を解決する(最早ある意味では解決不可能だが)方法は大きく分けて二つだと思う。

一つは機械化である。AI(現状のAIと呼ばれている技術は実際には自分で思考して意志する生命のようなものとは程遠いが)や、ロボットを活用して労働人口減少に対処するのだ。これはマクロなレベルで政府や研究機関が協力して行っているだろう。

もう一つは、健康寿命の維持、延長の為の努力だ。介護負担が増えれば、人々は困窮するし、最終的には看護が間に合わなくて死亡するような人も出てくるだろう。そうならない様に食べるものや、生活習慣に気をつけるのである。

ここに育児や出産の負担軽減の為の政策が含まれてこないのは理由があって、最早どんなに頑張って出生率がV字回復したとしても、労働人口の一時的減少は避けられないからである。もしも、今、急にベビーブームが訪れてもその子供が労働者として社会を支えるようになるまでに20年近くかかる。団塊の世代は既に全て年金を受給する65歳以上になった。そのジュニア世代(第二次ベビーブーム世代)も後15年位で定年する。(その頃は定年が70歳まで引き上げられている可能性もあるが)それには今、子供を増やしてももう間に合わないのである。(そして子供を労働力の為に〝生産〟するという発想には非倫理的問題がつきまとう)

移民という選択肢もあるが、移民は政治的理由、宗教的理由でより難しいと私は思っている。

 

だから私達が特に気をつけるべきは健康である。機械を使った仕事の効率化は個人には難しいからだ。そこで私も健康には気をつけている。慢性的な持病がない訳でもないし、既往歴がない訳でもないけれども、出来るだけ健康に暮らせるように気をつけている。食生活、運動習慣、規則正しい生活(中途覚醒してしまう事もあるので出来るだけ)睡眠を心掛けている。恐らく、多くの人が気をつけているだろう。

 

 

…とここまで来て、だから逆にここから恐ろしい問題が発生すると私は予測している。それが一番書きたかった事だ。

それは「特高警察」もとい「健康警察」の登場である。

余裕の無い状況では、人は徐々に寛容さを失っていく。健康に気をつけなければいけないとなると、自分に厳しい人は他人にも厳しくなる。そして、少しでも健康を害すると、それは自己管理が出来ていないからだと強く責めるのである。

これはあらゆる分野で似た問題が起こってくると思っている。

 

かつて成人病と呼ばれた生活習慣病だが、最近海外ではそういうステイグマ、烙印を貼り付け偏見を生み出す呼称を見直そうという動きが出ている。生活習慣病とは呼ばず、非伝染性疾患と呼ぶようになっている。

例えば、2型糖尿病は先天的な1型糖尿病に比べて怠惰な人がなると思われている節がある。しかしそうではない。糖尿病には生まれつきの「罹りやすさ」が存在する。多量の酒を飲んでも分解出来て平気な人間もいるが、あれと同じである。少量の酒で死ぬ人もいる。

これは精神病等にも言える。(しかし、全ての精神病が必ず遺伝するという訳でもない)病気は個人の生活習慣の責任だけに期す事が出来るものではない。

同じ事がコロナウイルスにも言える。最近は免疫を高めればコロナにはならない等と言う人がいるが、遺伝的にコロナになるかならないか、罹りやすさがそもそも違っているのだ。罹りやすい人は努力しても「罹りにくい重症化しにくい人」よりもリスクが高い。努力だけの問題ではないのである。

 

絶対はない等と言ったりするが、確かに人それぞれ違いがある。違いを認め合う事が重要である。逆に、酒を飲めない人に酒を強要するような事は「絶対に」してはならない。

「人それぞれの差異を認める」事と、その上で皆が「普遍的に相手を思いやる」事が必要だ。「人権とは、嫌いな相手の存在を尊重する事だ」と言われたりするが、そういう相反する二つの視点から物事を見て、上手く距離をとっていかなければいけない。

中途半端な理解の知識、健康情報の聞きかじりが人を傷付ける事もある。自戒を込めて気をつけていかなければいけないと思っている。他人に高い健康状態を「強要」する事が逆に問題を引き起こす可能性も考慮していきたいと思っている。

 

今日も、自分に出来る事を頑張ろうと思う。

この「代わり映えのない日常」を守る為に。