今、この本を読んでいる。過度なネット依存をやめて自分の時間を取り戻そうという内容の本だ。
一昔前、ミニマリストという言葉が流行った。
しかし、今では半ばネタのように扱われるようになった。
別にミニマリストはパンツすら履かないし、MacBookと生活必需品が入ったバックパックしか持たない訳ではない。だが、そういうイメージが一人歩きしている。
ミニマリストという言葉の定義は厳密ではない。ミニマルという言葉には最小限という意味があるが、これは「出来る限り」小さいという事であってバックパッカーになれという事ではない。人それぞれ、自分に合ったミニマリズムを見つけ出せば良いのである。そこで私はガチガチのミニマリストではなくて、ゆるミニマリストになる事をお勧めする。
ミニマリストにはこんな欠点がある。
例えば、都会ならば様々な公共サービスが整っているからスマートフォン一つで何でも出来る。食べたければウーバーイーツで注文し、必要なものはキャッシュレス決済で買えば良い。だが、地方…田舎ではそうはいかない。ミニマリストは外部の環境に大きく依存した都市型の考え方なのである。外部環境が破綻した場合、ミニマリストは真っ先に困窮するのだ。
そこで、必要な備蓄はしても良いと私は考えている。ミニマリストの利点は清掃、整理整頓のしやすさにあると私は考えている。これは部屋の中だけではなくて、脳内も同じだ。脳の中に余計なものが沢山あれば(つまり心配事が沢山あれば)スペックは落ちるのである。
そもそも、スティーブ・ジョブズが構想したスマートフォンとはどういうものだったのか。今は、様々なアプリがあり、人々はそれをどんどんインストールする。だが、コンピューターは余計なデータが沢山入っていれば処理能力が落ち、燃費も悪くなる。本当は、それ一つ持っていれば何でも出来る万能のツールというよりも、スマートな暮らしを実現するツールこそがスマートフォンだったのではないか。スマートとは、日本語で言えば洗練されているという事である。ごちゃごちゃ余計なアプリが入っている遅い端末ではないだろう。
コロナウイルスの蔓延で、人々はSNSに承認を求めるようになった。これ事態は否定するべき事ではないと思う。しかし、それが過度な承認欲求合戦(人と人との比較し合いによる競争、貶め合い)になっているのであれば立ち止まるべきだ。冒頭で紹介した本にはSNSのアプリをアンインストールしろと書いてある。私はそこまでしなくても良いと思うが、確かに距離感は考え直すべきだと思う。
人間は誘惑に弱いので近くにスマートフォンが置いてあるだけで、勉強や仕事に集中出来なくなる事が分かっている。これはSNSの通知待ちも同じだ。私は、タイムロッキングコンテナというものを買って、スマートフォンが不必要な時はゆるデジタルデトックスをしている。スマートフォンに依存していると何でもグーグル検索するようになって、自分の頭で考えるという事をしなくなり、愚かになってしまう気がするのだ。
何も全てを捨てて求道者、犬儒学派のディオゲネスのようになれと言っているのではなく、自分が過度に物を所有しているのであれば、整理整頓してみてはどうかという程度の話である。床に物を置いていない方が清掃が捗る。頭の中のタスクも綺麗に処理されていれば脳を十分に使えるし、ストレスも減るだろうと思う。