スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

貧困生活について再考してみました

今日は体調が良くなかった為、病み上がりなので家でおとなしくしています。

ちょっとだけ近所を散歩するかも知れませんが、基本的には誰とも会わず、お金も使いません。でも、考えてみると、生きているだけで人間はお金が掛かります。

ちょっと、考えてみる事にしました。

 

食事、トイレ・お風呂、住居費・光熱費、被服、各種納税、暑いとエアコンを付けたりする必要もありますね。そうすると、どんなに低く見積もっても一日の生活費は1000円を切る事はないでしょう。

食べ物を除外しても、家賃の日割りと光熱費と税金でそれ位いきそうです。

すると、一ヶ月3万円の収入は無い物と等しいのかも知れません。

実際に使えるお金を得るには、月10万以上は稼がないと厳しいです。

 

家賃を抑えに抑えて4万円くらいにできたとしても(東京ならワンルーム7万円位はするでしょう)食事に2万は使いますし、水道光熱費が10000以下という事はないと思います。税金で2割位は持っていかれますので、もろもろの雑費を加えると、10万以下の収入の人は生活ができないと思った方が良いでしょう。

 

では最低賃金で働くとどうなるでしょうか。時給1000円として、フルタイムで週5日働いた場合、およそ17万円位になりますね。ここから社会保険料が引かれて15万位になるでしょう。住民税なども引かれるので、実質、自分の為に使えるお金は14万円位になりそうです。

ここから、先程の最低生活の費用を引いた場合、余剰のお金はおよそ3万円ですね。一日に自由に使えるお金は1000円です。かなり切り詰めても、こんな感じになると思います。先程の計算には医療費等が含まれていませんし、美容院とかも行けないですね。1000円カットで我慢する必要があります。この一日1000円を一切使わず、それを全額貯めたとしても、年36万円の貯金なので、この生活を40年続けたとしても1440万円しか貯まりません。政府が試算した老後の生活費2000万なんて不可能です。もちろん、交際費も含まれていないので、友達と飲みに行ったりするのはアウトですし、恋人とデートでおごるなんて不可能です。結婚して子供を持つなんて夢の又、夢ですね。

 

最低賃金の生活は、過酷です。仕事が仮にきつくなくても、人生のイベントが少なすぎて面白い事が何も無いと思います。どうにかして、最低賃金の生活は避ける必要があります。最低賃金の生活を回避する為には、自分の市場価値を何とかして高める必要があります。一つは、学校の勉強を頑張る事でしょう。学校の勉強を頑張れば、そこそこいい仕事に就ける可能性が高まります。

それでも2024年度の調査によると初任給は大卒だと21万~高卒だと17、8万円とかですので、上記の生活に近い感じになりますね。職場で認められて昇級する必要がありますね。手取り20万円位になると大分心に余裕が出てきます。しかし、この場合も、老後の生活の事などを考えると、余裕はあまりありません。

もし、ドロップアウトして学校に行かなかった、行けなかった場合はどうでしょうか。この場合は、学歴で得られるインセンティブが望めないので、スキルを磨く必要があります。分かりやすいのは資格を取る事でしょう。民間資格とかではなく、国家資格で、職場に何人か配置しなければならない物を狙うべきです。これも、親の援助などが無いと、最低賃金の生活を我慢しながら、キャリアアップしなければならないので厳しいですね。

考える必要がある事が沢山あります。限られた時間と資源の中で、人付き合い、何が倫理的に正しいのか、お金の管理、健康管理、その他の様々な価値観と折り合いつけていく必要があります。確かに、貧困で働くのが精一杯の人に、哲学等の高尚そうに見える学問が「おままごと」とか「机上の空論」とかに見えてしまうのも無理はありません。

一般人に混ざって普通の生活が送れず、勉強ができなくて、資格を取る能力も無かったらどうすれば良いでしょうか。知能は努力によって伸ばせると長らく思われてきましたが、遺伝によって左右される面も大きいと言う事が分かってきています。

上述した方法が取れない人は、自棄になってしまう人もいるかも知れませんし、調べてみたら知的に何らかの問題があって(大体の場合は学校の検査でスクリーニングされますが)働くのが困難であるかも知れません。

 

こういう問題があって、それを解決しようとか緩和しようとか様々な動きがある訳ですが、なかなか難しいというのが現状だと思います。少なくとも私のブログは、自分でブログを読んで、それを踏まえて行動を変えられる力がある人にしか届かないです。

なので、ブログを書いているだけではこうした問題を変える事は絶対にできないでしょう。

とにかく、自分の事を考えるという切り替えは必要です。自分の事ばかりで自己中心的なのはいけないと言いますが、生活においては自分のやるべき事に集中するフェーズというのが絶対にあります。

 

自分が学生ならば、学校の勉強を頑張ってできる限り自分の市場価値を高める努力を(尤も、学問は本来もっと幅の広い価値を扱っているものでしょうけれども)するべきでしょう。学校に何らかの理由で行けなかった、あるいは行かなかった人は、それを踏まえて再起する道を探す必要がありますね。自分の適性を調べて、その道で客観的に評価されやすい資格を取るべきです。この両方が不可能ならば、福祉の助けを必要とするのかも知れません。

gomiblog.hateblo.jp

以前、記事を書きましたが、お役所に行って相談するのが何だかんだ言って一番まっとうな方法のような気がします。民間団体で頼れる所があれば良いですが、サービスにムラがあったり、思想的に偏りがある可能性もあるので、公的な福祉サービスを受けられるのであれば、その方向で模索して行くと良いでしょう。一回、公的な福祉の対象だと認められれば、本当に手厚く保証してくれる場合が多いです。

 

障がい者であっても、何らかの資格を取って活躍している人もいます。自分には何もできないという風に諦めてしまいがちですが、それぞれの人ができる事の範囲の中で何かを見つけられる事を私は願っています。