私は言霊というものを信じていない。
言霊に似た概念に「引き寄せの法則」というものがある。
ネガティブな言葉を使うと、良くない事を引き寄せ、ポジティブな言葉を使うと良い出来事を引き寄せるというものだが(色々バリエーションはあるのだろうが、興味がないので詳しく調べていない。私はスピリチュアル系全般に懐疑的である)
確かに、人の悪口を言えば評判は落ちる。そして、人は去って行く。しかし、これは言葉の持つ魔力とかそういうものを抜きにして、普通に説明出来る。もっと自然な解説が出来る筈だ。悪口を言われたら嫌な気分になるし、その人物を信用出来ない。だから、悪口を言いふらす人間から人が離れていくのは自然な事だ。
逆に、良い事を言う人の所には福があるのだろうか?あまりにもあざといやり方、露骨なやり方では、ゴマすりに見えるだろう。
何か人を褒めるにしても、程々にしないといけないだろうし、実際に感謝だったなという出来事が無いとわざとらしくて、嘘だろうと思われてしまう。
言霊というのは、要するに人からの評判の事である。引き寄せの法則も同じだ。
空中に物事を語っても何の意味もない。
良く、食品とか水にありがとうを言うと綺麗になるとか、悪口を言うと腐るとか言うけれども、これは典型的な疑似科学であって、詐欺であって、嘘である。
だが、自己暗示というものは馬鹿に出来ない。社会学の概念に予言の自己成就というものがある。あるいは予言の自己破壊とも言われる。
人が何か宣言すると、人はそれを「行わなければならない」と感じるようになる。そうして、人は自分の言葉に呪縛され、最終的に破滅するケースもある。
宣言によって自分を追い込むのは、場合によっては効果的だが、大言壮語、大口を叩くとろくな事にならない。約束を破ると信用が毀損されるのである。
恐らく、古来から言われていた言霊信仰とは、こういう広い概念を包括するものであったのだろうと思う。
私がこの文章で何を言いたいのかというと、それはこういう事だ。
借金がない人がいるとする。
それに対して莫大な借金がある人がいるとする。
普通に考えれば、前者の方が健全である事になる。
しかし、後者の方が担保となる資産を持っている場合、その限りではない。
信用とは、物質的な資産だけではなくて、その人の経歴や、行動を含むものであらゆる側面から評価され形成されるものであると言える。
だから、人の悪口を言いふらして、又、宣言を破り、約束を守らないような人は、物質的な借金が無くても、信用されず、貧困に陥りやすいのである。
人は、実はこの見えざる借財、見えない信用の評価こそを気にするべきであって、物質的な資産の代償だけを見るのは表面的なのである。
もし、あなたが良く人の事を品評し、馬鹿にしがちだとしたら、その悪癖は直した方が良いだろう。人には良い面と悪い面とがある。批評が重要な場合もあるし、批判するべき時もあるだろうが、そうではないのに、人の事を小馬鹿にする目的で口を滑らしているのだとしたら、それは自分の信用という価値を、自ら毀損しているのである。
私は言霊を信じない。
しかし、確かに言葉には力がある。言葉で人を追い込む事も出来るし、言葉で人を励ます事も出来る。言葉の力を侮ってはいけない。
出来れば、人を励まし、労る言葉を多く用い、人を傷付けないような存在になりたいと思う。