スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

メンテナンスという考え方で捉える自己愛

最近になってようやく自分を大切にするという事が分かってきました。

今までは自分を大切にするという言葉に一種の気持ち悪さを感じてしまい、何だか腑に落ちなかったのですが、最近、車両のメンテナンスについて勉強していて人間も同じだなと思ったのです。

物を大切にする人は、人間も大切にするという事を言っている人がいて、これも訝しんでいたのですが、確かに何かを大切にするという点では同じですね。人間の方が物より大切だと思いますが、物を大切に扱わない人は気配りができないという事はそうかも知れません。

 

あなたが車のオーナーで車を長く乗っていたいとか、車が貴重で長持ちさせたいと思ったらどう扱うでしょうか。事故に気をつけて安全運転するでしょうし、頻繁に点検して悪い所がないか確かめるでしょう。車という物よりも人間の方が貴重です。となれば、人間も安全運転するべきですし、頻繁に点検するべきですね。定期的に休ませるという事も必要かも知れません。ぶっ続けで使っていたらオーバーヒートしてしまいますね。この意味では「休む事も仕事の内」ですね。

 

でも意外と人間の体は雑に扱われているのではないでしょうか。車はガソリン以外の燃料を入れると壊れる可能性が高いですが、人間は暴飲暴食していたりします。

自分の意識の事を便宜的に魂と呼びますが、魂を乗せる車である自分の体を思えば、もっと自分を大切にした方が良いですね。

安全運転を勉強した事がある人なら分かると思いますが、安全運転には速度を適正にする事以外にも様々な確認や配慮が求められます。しかし、人間は忙しいからと自分には無理な速度を出そうとしたり、確認や配慮が足りていないという事があるのではないでしょうか。安全運転にはチェックリストがありますが、人間の運転には統一的なチェックリストがありません。倫理学とか宗教とかではこういう事を言っているかも知れませんが、それはまちまちだったりします。こういう事についてももっと考えた方が良さそうですね。

車なら定期的に点検して、油を差したり、部品を交換したり、タイヤの空気圧を確かめたり、色々なメンテナンスをする必要があります。しかし、人間はどうでしょうか。定期的に不足している栄養素を補う食事をしているでしょうか。体の悪い部分を調べる健康診断をしているでしょうか。

こういう自分に対する配慮に欠ける事をセルフネグレクトと言ったりしますが、自分を「どうせ死ぬから」と消耗品扱いしていないでしょうか。人生にやり直しのチャンスは基本的にないので(死後の世界がどうこうみたいな話は一切抜きにして)一度きりの自分という魂の入れ物をもっと大切にした方が良いかも知れません。

ところで、私はご自愛下さいという言葉が好きです。

無理して頑張ろうとしてしまう人に、もっと自分を大切にして欲しいと思う事があります。でも、自分自身についてはあんまりそうは思わないんですよね。人間は自己中心的になってしまう事がありますし、自分がかわいいものだという思いが根底にあって、あまり自分を愛するという事を意識しないようにしてきたからでしょうか。

自分の価値とか、自分の事を大切にするという事について、もっと深く考えてみても良いかも知れませんね。意外と人間は誰かの助けになっていて、いなくなると困るものかも知れませんよ。社会という観点で見れば、自分もそれを支える部品、動かす歯車かも知れません。一つの部品が欠けただけで、大きな機械が動かなくなる事もあります。

良く、自分なんかいなくても社会は変わらないとか、会社は動き続けると言ったりしますが、それは何らかの対処の後であって、全く困らないという事は基本的には希な筈です。全体を生かすという大きな目的の為には、小さな部品である自分自身も大切にする必要がありますね。