スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

2024年、1月28日の日記

最近は知識不足を感じて読書によるインプットに勤しんでいます。

ですがなかなか進捗を生む事ができていません。

私はそもそも読書が苦手なんですよね。文章を書くのは比較的できますが、長い文章を読むのは疲れてしまいます。これは結局「自分という知識の枠組みの中」に生きているのは得意でも、それを超えて物を知るのは慣れていないし、苦しいという事だと思うんですよね。

何かを知る時、場合によっては自分の常識が揺らいだり、信念が挫かれる事があります。そういう苦しみを経て人は、本当に物を知る事ができるのではないでしょうか。大変ですが、頑張って継続していきたいと思います。

何でも先送りしてしまいがちですが、日々のやりたくないやめんどくさいを乗り越えて培ったものがいずれ自分を助ける事もあると私は信じています。

 

最近、本当に書く事が全然なくて(余計な事を言わないように寡黙になろうと思っている事もあります)困ります。

これで終わりというのは何なので何かをねじ込もうと思います。

 

数少ない進捗としては、貧困に関連する本を何個か読んだ事ですね。

貧困者というと「カロリー不足、飢餓」を連想しがちですが、問題の本質はそこにはなくて、知識不足や娯楽を求める精神によって栄養不足になったりする事のようです。雑に言うと、わかりやすい「肉のごちそう」とかジャンクフードを食べて比較的高価な野菜や果物は食べないというような事ですね。

予防接種にも同じ事が言えて、人は知識不足からリスクを先送りする傾向にあるみたいです。

お金を寄付しても貧困問題がなかなか解決しないのは、こういう人間の情緒、文化的背景があるみたいですね。確かにそうです。

そうなると教育の問題になってくるのですが、教育には宗教や政治も関わり簡単に変える事はできないようです。人間は、習慣、慣例で動く傾向が強いので、間違った伝統でも変えるのが困難であるという事もあります。又、文化相対性を盾にとってそれも一つの文化のあり方なのだと言われたら、反論ができないという面もあると思います。

 

貧困問題は調べれば調べる程、簡単に解決できない問題だという事が分かってきますね。お金持ちの中には貧困者は怠惰だから貧困なのだと考える人もいますが、そんな簡単な問題ではありません。陰謀論とか疑似科学も、勉強不足だから引っ掛かるという単純な図式では説明できない面があります。そもそも知識や知能は人間の生得的な部分に制限されている面もあり、社会福祉や教育はそこを加味して考えなければならないでしょう。

私個人でできる事は、身近な人に親切にする事、被災した人等に寄付を行う事、又、自ら学び(自身の)偏見や無知と闘う事、小さな事からコツコツと、ブログなどで情報発信したり社会に良い影響を与えようと努力する事でしょうか。情報の正確性にももっと気を配っていかなければいけないですね。

 

ただ、苦しい節約が長続きしないように、あまりにも自分に負荷をかけすぎてしまうとその努力は継続せず、一過性のものになってしまうので、無理なく続けられて効果の大きな何かを見つける必要があるんだろうなと思います。これは今やっている仕事にも言えて、できるだけ人力ではなくて仕組みで物事を解決する方向性で考えていきたいと思っています。

 

取り敢えず以上ですね。来週は、もっとアウトプットできるように頑張りたいと思います。