スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

たまには頭の中を整理してみませんか? 思考の整理法

最近、ブログでもTwitterでも難解な内容の投稿が増加傾向にあったので、ちょっと一休みしたいなと思いました。そこで、思考の整理について書いてみます。できるだけシンプルに書きました。(後で、もっと詳細なものを投稿するかも知れません)

 

私個人の生活のベースとなる考え方です。これが完璧だとは全く思わないですが、良ければ参考にしてみて下さい。

 

①先ず、全ての仮定を捨て去って、まっさらな状態に戻るイメージを持ちます。この際、実際に全てを捨てる必要はありません。イメージで良いです。

②次に、人間には属性がありそれは自在に変えられないか、変えられる事もあるが多大な労力が必要であるという自覚を持ちます。これによって自分の考えは制限されている可能性がある為です。自分を客観的に見る訓練です。

例(国籍、性別、年齢、遺伝情報、人種など)

③それに対して、宗教や哲学は変更可能であると考えます→詳しくは割愛しますが、特殊な事情で変えられない場合もあります。又、それとは別に性格や能力は訓練によって変化する可能性がありますね。

 

ここまで進んだら、自分の人生の目的について考えてみましょう。できるだけ外部の制限がない状態で自由に考えます。

何も前提となる材料がないと、何も分かりませんよね。前提条件を観察で得なければなりません。

 

全てを疑っても(私としては)疑いようがなさそうな部分を前提とします。

①人間が人間である以上、快不快・利害関係があり感覚がある。

②どうやら「世界」は実在しているようである→反実在論が思想界では強くなっているし、厳密には独我論が正しそうだが、自分がいるのは確かそう。(素朴な実在感)自分しか世界に存在しないという事を本当に信じて、そうふるまっている人は殆どいなさそう。

この辺りを更に疑うのは無理そうなので、前提とします。感覚を疑ったり、主観的認識を疑ったりできそうですが、何も分からなくなりそうなので、疑う自分の「疑い」を疑って下さい。すると、まあ、上の条件に近い感じになると思います。

 

自分がいて、対話可能な他者がいます。そういう世界に生きています。この文章を書く前に何人かに協力してもらい、何が自分にとって大切かを教えてもらいました。そうした観察を経て、私が得た仮説はこれです。

 

「多くの人間は「何らかの」「幸福」な状態を目指しているようである。幸福とは、心が満ち足りている事である」

これだけだと抽象的で良く分からないので、もっと厳密に言うと主観的に気持ち良いという状態です。別の言葉で言うと、快です。功利主義では快楽には種類があり、質的な快楽と量的な快楽があるとされます。この快を求める過程が人生で、その中で主に他者との利害関係が生じ、問題になる、と私は考えています。更に詳しく言うと、自分のやりたい事ができている状態、自己コントロール感や、自分のしたい事を決められる状態、自己決定感などもあります。周囲の人から愛されている状態を求める人もいますね。詳細を書いていくと複雑化してしまうので、割愛しますね。

 

どうやら、多くの人は幸福ないし快を最大化する「ゲーム」(この場合のゲームという言葉は遊戯というより一定の条件の下で行われる営みの事を指す)として人生を捉えているようです。

人生において、快だけでなく苦痛もあります。苦は耐えがたいので、多少は許容する事ができますが、人間は基本的に苦を避け、苦しみに制限されているという意味で縛られていると言えそうです。苦しみが強くなると死んでしまう場合もありますね。苦しみを乗り越えてより大きな幸福を得るという考えもありますが、苦しみそのものを求める人は少ないですよね。

又、人は老化します。この意味で時間は有限で貴重です。

死んだ後にどうなるかは不明ですが、少なくともこの「世界」からはいなくなるようです。無になるという考えが根強いですが、一定の宗教では人生での振る舞いによって天国という楽園に行けるという考えもあります。厳密には不可知論(あるともないとも言えない)が正しそうですが、詳細を追いかけると複雑なので割愛します。

どちらにせよ、生きている間に何をするか、どうすべきかが問われるようです。

 

食べないで生きられる人間はいないので、糧を得る為に働く必要がありますね。この「世界」の人間の集団が作っている「社会」では「お金」が「信用」を担保して物品やサービスと交換ができるので、基本的にはお金を稼ぐ為に働きます。

現代社会では、お金をいかに効率良く稼ぐかが重要視される傾向にありそうです。お金を稼いで時間や経験を得るという人もいます。お金は手段ではなく目的であり、もっと崇高な目的を求めるという人もいますが、お金を稼ぐ事を回避して生きられる人は僅かなので、この傾向はあると思っています。

 

衣食住、睡眠が必要です。安全が必要ですね。これは自分にとっても、どうやら他人にとってもそうですね。安全は高い価値を持っています。後で触れますが、倫理や道徳や方はこの為に重要視されています。

 

毎日のやるべき事は、簡単化すると「お金を得る為に働く」事です。

中には既に大きな財産を持っているので働かない人もいます。そういう人の中には、更なる快を求めたり、お金ではない価値を得る為に働く人もいます。他人の為に働く事が快であったり、より崇高な目的であると考える人もいますね。

余談的になりますが、多くの人ができるだけお金の為に働くのは御免被りたいと考えているようです。お金の奴隷になりたくないという人もいます。この為、できるだけ楽に快を得る方法というものが常に研究されているようです。

 

このように世界を観察して、物事が分かってきました。

生活をする上で、どんな考えを基本にしていけば良いでしょうか。私はこう考えています。

 

①可謬主義

人は間違える事があるという考え方で、自分にも他人にも適用されます。

エラーの理由は様々ですが、人間は有限で「全知全能」ではないからです。ですので、自分も多めに見てもらう為に、他人の失敗もある程度は許容する必要があります。

懐疑主義

物事を疑って確かめる必要があります。事実に立脚したいという欲求です。部分的に論理学や科学的思考法と呼ばれたりします。疑いすぎると何も分からなくなるので、懐疑主義そのものに対する懐疑が重要になってきます。

③科学的検証

できるだけ正確に事実と論理に立脚して実験で確かめます。観察、仮説、実証のサイクルです。

④全ては仮説であるという認識

自分の考えはあくまでも暫定解であり、全能の神のようなものが出す究極の答えではない事を自覚します。「無知の自覚」とか言えるかも知れません。もちろん、暫定解でも、答えに近いもの、遠いものが存在するという考えを持つ事はできます。

 

この四つに加えて、倫理、道徳、法も重要です。信用や愛や慈悲と呼ばれたりもしますが、定められた条件を守る生き方がそれらを形成します。これは前提した快や不快、利害関係をめぐるゲームのルールです。このルールは時代や環境によって変化する可能性もあります。

宗教は、特殊な物語を基礎に据えた縛りの下でゲームをしている人達という見方ができます。この特殊な物語というのは科学的検証が難しいか、困難なので信じる事が求まられたりします。ポジティブな効果もありますが、差別や偏見に繋がっていると考える人もいます。ここは難しい所です。

 

このような世界において、私がやるべきだと思っている事は簡単に書くと以下になります。

①法などのルールの把握

ルールは変化する事もあるので、現実を観察し、公的機関の情報を得る。

②科学知識の収集、思考力の鍛錬

論文や本を読み、読解力を身につける。現実の問題を解決する訓練をする。

③普遍的価値についての考察

古典や歴史から学ぶ姿勢を持つ。

ここまで三つが学習です。

④お金を稼ぐ。資産の管理。

基本的には労働。得た給与を貯蓄して投資する。又、セキュリティを厳重に行う。

⑤衣食住。家事などのルーチンワーク

説明は不要かと思うが、料理、洗濯、掃除などの家事を決められた時間に行う。

⑥体を鍛える。運動を通した健康維持。

適度な範囲内で楽しみつつ、体の疲れを取り、同時に健康維持の為の運動習慣を作る。

これが生活の領域に属します。

これに加えて⑦は、できる限り人との良好な関係を作る事です。信義、信用とか義理人情の問題ですね。人との関係は常に良好とは限りませんが、敵をなるべく作らないようにします。又、仮に敵対する、対立するような事があっても破滅的状況に至らないように努力します。

 

以上の七つを心がけて、頭の中が散らかってきたら整理して優先順位をつけて生活するようにしています。このような頭の中の整理を定期的にしています。良かったら参考にしてみて下さい。