TwitterもといXにこんな事をつぶやいている人がいました。
「○○という属性の人は、本物の差別主義者である。ちょっとやそっとのそこら辺の差別を吹き飛ばす位の本物の差別主義者であって、他の属性の人間をゴミ扱いしているし、死んでも当然、神の罰だと言っている」
実際のつぶやきは、これとは異なる表現です。特定してどうこうというのが面倒な為、ぼやかして書いています。
日本にも、外国にも差別主義者はどこにでもいますよね。
ある宗教に関わっていた事があるので分かるのですが、その宗教に属している人は自分達は神に特別に救われていて、そうでない人は救われていない哀れな人達だとナチュラルに思っています。ここに人種の問題が絡んできたり、ナショナリズムや、何らかの属性の問題が組み合わさってもっと複雑になるのですが、こういう選民思想は珍しくありません。どこの国にもあり、どこの国にもそういう人はいます。
では、そういう人が存在する国は悪なのでしょうか。もし、悪だとすれば、何割程度がそういう差別主義者だったら悪と言えるのでしょうか。これは難しい問題です。
もしも、少しでもそういう存在がいれば悪だと言うのならば、全世界が悪でしょう。
しかし、関係ない人達まで巻き添えにしないで欲しいです。
そもそも、こういう一部の悪者の事を問題にして、敵国と認定し、それを理由に戦争を起こしている世界で、こういう憎悪を煽るのは、争いに火種を注ぐ事だと言う認識を持たねばなりません。
悪者がいたら、その悪者を問題視すれば良いだけの話で、その集団全体を巻き込んだ問題にする必要はないと思います。その集団が最早、そういう人達で大多数を占めている場合はまた話が別ですし、そういう存在を自浄する作用が全くない場合も問題ではあると思いますが。
私の個人的見解ですが、この世はどっちかと言えば悪です。闇です。
しかし、だから世界は滅ぶべきだ等と思いません。
前にも似たような事を書きましたが、世界が「黒の章」みたいな闇だったとしても、小さな日だまりがある限り、それを守っていくべきだと思います。
もし、そういう最低限の人間性をも捨ててしまったら、自分もその種の差別主義者、悪者と同じになってしまうのではないでしょうか。
確かに、飲み物にちょっとでも汚水が入っていたら飲みたくはないですよね。
でも、この世界は、そういう汚いものと綺麗なものが循環している世界なんですよね。
実際の汚れの問題と穢れの問題を区別しなければなりません。
福島の原発事故によって、土地が永らく汚染されたという風評を未だに流布している人もいますが、こういうのも穢れの問題です。
何故、人が嘘マナーを広めるのか。何故、穢れがあると騒ぐのか。
それは儲かるからだと思います。
信者と書いて儲かると読みますが、宗教は儲かるんでしょうね。
働かなくても、下の構成員がお金を上納してくれる訳です。
これは右派とか左派とか関係なく、ある種のお題目を掲げる人達が集金するシステムに組み込まれた構造だと思います。
人間は、何か問題を作り、その問題を解決するとしてお金を集めます。
実際に多くの人が困っているような問題もあれば、別に言われるまで問題だと思わなかったというようなものもあるでしょう。
でも、人間は生きていかなくてはならないので、問題を解決しなければいけません。
そこで、人間は問題を作り出そうとする訳です。
それが穢れの正体かも知れません。
実際に、汚いものというのはあります。目に見えない菌やウイルスが概念すらなかった頃には穢れという物は有効だったでしょう。何々の動物を食べてはいけないとか、こういう人に近づくと何かが移るとかですね。
でも、今は科学が様々な物事を明らかにしています。科学は万能ではなく、未解明の分からない事もありますが、明白な事もあります。物事の認識が明白な領域で、穢れ信仰を振り回す人間は、未だに呪術を信じている訳です。
確かに、人は善なる神を見失ったという事はあるのかも知れないですね。
でも、私は「邪悪な妖怪」を信じる位なら、もっとまっとうなやり方をしていきたいと思います。
世界は穢れているので滅ぶべきだという人がいるなら、私は反対しますし、その論理でどこそこの国を滅ぼすべきだみたいな発想になるのなら、その手の差別主義者と同じ穴の狢になっていると思います。
全ての人は何らかの形で幸せになるべきだし、お互いに傷つけ合い苦しめ合うべきではないという基本的な事を私は信じています。もしも、仲良くできないなら棲み分けるべきです。お互いに別々にやって幸せを目指せば良い話です。
私が宗教に不信感を持つのも、こういう話に終始して、どっちが正しいかみたいな水掛論を繰り返し、憎み合い、実際に戦争になっているからです。うんざりしています。
それなら、幼稚と言われようが、漫画やアニメやゲームを楽しんでいる方がずっと賢いと思います。恥を知るべきです。