スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

つれづれ4 人を励ます言葉、見返りを求めない心

今日も寝付けないので文章を書いてみます。

この前、AIに私の文章を読ませて批評をしてもらった所、説教くさい部分があり、ネガティブな発言が多いので、ポジティブな人を励ます言葉を増やすと良いと言われました。

そこで今回は、人を励ますという事について書いてみようと思います。

 

教育心理学ではピグマリオン効果というものがあるとされています。これは実験者効果であって、実際には教師の「えこひいき」や「ずる」の結果だと言う批判もありますが、確かに期待されている生徒と、馬鹿にされている生徒だったら前者の方が成績は伸びそうではありますよね。

一方、ナルシシズムを育てるという批判もあり、無闇矢鱈に人を褒めてはいけないなんて言う人もいます。

アドラー心理学では、人を「偉いね」等と褒めるのは既に人を上から批評している格付けの要素を含む為、何か感謝したい事があった場合は「ありがとう」と言うのが良いとされていたりします。

 

それはそれとして、ネガティブな事を言われるよりも、ポジティブな励ましの言葉を貰った方が安心し、モチベーションアップに繋がると考える事は自然な事だと思います。

私が人をあんまり褒めないのは、お世辞が嫌いだからです。インターネットの悪い人の中には、明らかにおかしい事をしている人を褒めてその行動を助長、加速させて楽しむという悪質な「遊び」をしている人もいます。

社会に出たばかりの人や、学校で苦しい目に遭っている人に、働かなくても良いのだとか学校なんて何の役にも立たないからいかなくて良いのだというのは簡単です。そう言われている方もその気になって安易に考えてしまう場合があると思いますが、実際にはそういう助言者は何の責任も取ってくれません。一度きりの状況を簡単に投げ捨ててしまって良いものでしょうか。

だから私は人に、大丈夫だよ、頑張らなくても良いよ、努力なんて意味ないよとは簡単には言いません。

 

人を褒めるにはその人がそれなりに頑張っている事を実際に見る必要があります。

こういうブログで不特定多数に、励ましの言葉を言うというのは嘘っぽいと私は思ってしまいます。直接、その人となりを知らないと褒めるとか励ますというのは難しいと思います。

 

だから私は、Twitter…今はXではリプライを貰えれば、いいねや返信はしようとは思っています。タイムラインを見て、困っている人がいたら何か有益な情報を調べて教える事はできないかと考えたりもしますね。もっとコミュニケーションを取っていこうというのは良いかも知れません。

後、チャリティを通して人を元気づけるのも良いですね。

もっと時間の使い方や動きを見直して、人の事を助ける人になっていきたいなと思います。

 

話が変わりますが、最近、気になっている言葉について書こうと思います。

一つは他責思考という言葉についてです。

最近、他責思考という言葉を良く見ます。

その内容についてもなるほどな、と思うものもあります。しかし、他責思考という言葉は元々日本語にはなく、最近できた言葉です。他責という言葉に本来対応するのは、責任転嫁ですかね。これは自分が負うべき責めを他人に被せるような行動の事を指します。責任逃れをして転嫁ばかりしているような、狡い人の事を他責思考と呼んでいるのだと思います。

何故、最近になってこういう事が盛んに言われるようになったのかという事について書くと、先ずはTwitterのようなソーシャルメディアでビジネス系アカウントみたいな何とか社長というような名前の人達がこぞって言うようになったからですね。

確かに他人に責任を擦り付けるような人を雇用したくはないですね。でも、何かこういう言い方には雇用側の都合の良い事情がありそうに思います。

何でもかんでも人のせいにする人は駄目ですが、何でもかんでも自分の責任だと思うのもおかしいと思います。会社はもしかしたらそういう奴隷のように働いてくれる人がいれば便利かも知れませんが、私は嫌ですね。

こういう風に自分の責任という言葉や意味合いが曖昧になっているのも、この言葉が流行っている一因だと思います。自分の負うべき責任とは何なのか、本来なら法律があるし、雇用される際には契約を結ぶ筈なので、そこで詰めている筈なのですが、それを適当にやるとこういうモンスターが生まれてしまうのかなと思いました。

 

次いで、話がまた変わってしまうのですが、気にかかっている事の一つに「鏡の法則」という言葉があります。20年前位の大昔に流行った言葉です。

こういう本があり、自分の態度や生き方次第で、関わる相手も答えてくれるというような内容なのですが、これって思いきり因果応報のような「公平世界仮説」ではないかと思います。実際には親切にしても、攻撃してくる人はいますし、自分の態度で相手が良くなるとは限りません。

こんな本もあります。アダム・グラントという人の書いた「GIVE&TAKE」という本です。これによると、人間には惜しみなく与えるギバー、返されたら返すマッチャー、奪って自分の事ばかりのテイカーというタイプがあるそうで、ギバーになってもテイカーに捕まってしまうと奪われ続けて苦しむ事になるそうです。

人を見る目が必要になってきますね。

 

自分の責任をきちんと果たして、他人を励まし助ける。

それでいて、自分の事ばかりのモンスターのようになっている人とは適切な距離を置くという事の両方が必要そうです。

私は因果応報という仏教の教えを信じていません。それを好む大勢の人がいる事は知っていますし、人が社会においてそういう風に動くのも分かっていますが、例えば善良そうな(少なくともそう見える)人も被災したり、事故に巻き込まれて死んでしまう事がある世界なのを知っているからです。

全ての人が幸せに生きるというのはとても難しい事です。だからこそ、人は願い、祈るのだと思います。

もっと勉強して、色々な事ができるようになりたいものです。

一緒に皆さんと励まし合い、成長していければ良いなと思っています。

そろそろ眠くなってきたので寝ますね。おやすみなさい。

良い夢が見られますように。