スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

貧困と経済学 追記版1

貧困問題を扱うと言いながら、最近は脱線気味だった為、この本を読み解きながら、今回は貧困と経済学について考えてみましょう。

 

先ず、貧困の原因は多様です。

単に怠けているから貧乏人になるという訳ではありません。本人の判断の責任もありますが、多くの人は、自分の望む望まざるとに関わらず貧困に陥ります。そういう事も多くあります。具体的に言うと災害、病気、そして戦争などの影響があり得ますよね。他にも、経済政策の失敗の可能性もあるでしょう。

そして一度、貧困状態になってしまうとそこから這い上がるのは容易ではありません。判断する時間や機会を確保する為に資産が必要だったりするからで、丁度、大昔の高床式倉庫にネズミなどが入れないように返しがついていたのと似ていて、一回下に落ちてしまうとそこから脱却するのが難しい構造になっています。

 

また、貧困問題を解決する「魔法の杖」はないそうです。魔法の杖というのは、一挙に全てを改善するような画期的な政策はないという事です。様々な方法をそれぞれのケースに個別に用いて地道に問題に向き合っていくしかないという事です。

経済学において、どういう政策を取れば貧困国が発展できるのか?あるいは、経済大国を維持するにはどうすべきかという事を簡単に言い表す事はできないようです。事後孔明等と言うネットスラングもありますが、後付けで説明する事はできても、どういう風に変化していくか未来を言い当てる事はできないという事です。確かに、もしもそんな事ができれば為替相場で大もうけできるでしょう。何かを断言すると人はその裏をかこうとして、最初の予測が変わってしまいます。こういう効果がある以上、未来の予測は困難なのだと思われます。

しかし、分かっている事として、間違いなく効果のある施策というのもあるそうです。ある程度、人々に基本的な物やサービス、情報が行き渡り「豊かに暮らしている」方が、経済発展が加速しやすい傾向があるそうです。

今回は、そこを特に重点的に抜粋して紹介したいと思います。

 

学校の基本的な勉強をする。貧困者は、健康などにおける正しい情報を持っていない傾向にある。ワクチン忌避や農薬の使用法について無理解だったりする。意外にもマスコミは結構信頼されている。魅力的な方法(映画や演劇、テレビショー、うまく設計された成績表)で正しい情報を広める事の大切さ。

②お金持ち程、社会における待遇が良く、貧乏だと生きていく為の判断を多く強いられており、沢山の責任を背負い込んでいる。安全な飲み水が出る水道とか、蓄えを作る為の銀行口座、健康を維持する為の栄養素の確保。こういう生活の基礎に補助をするのは有効である。

③資本主義的な原理だけでは貧困を減らす事はできない。貧困者に必要なサービスが提供されないのにはやむを得ない理由がある。だから、逆に思い切って無料サービスでインフラを整えてあげた方が、形ばかりの料金を取るよりも安上がりである。

④国が貧困に陥る原因。無知・Ignorance、政治的党派性・Ideology、惰性・Inertia、普遍的な三つのI。貧困国の失敗は運命づけられている訳でもなく、陰謀のせいでもない。こうした欠陥は回避可能である。社会全体を変革しなくても、少しの工夫で改善される事もある。

自己成就予言。つまり、自分がもう貧困に運命づけられているのだという思い込みによる無気力。教師や社会が、落ちこぼれに君は愚かだよという烙印を押す。負の循環を止める為には、小さな成功を与える事が必要。成功は成功を呼ぶ。人々に希望を与える事。

 

ある程度、文章をそのまま引用して紹介しようかと思いましたが、時間がないので簡単に紹介するに留めます。詳細は、上述の本を読んでみて下さい。(内容を正確に反映する為、今後、少しずつこの文章は改稿します)

経済学は全然、役に立たないとか、社会の福祉や慈善事業は何の役にも立っていないという人が稀に見られますが、様々な形でのフィールドワークや、統計調査によって貧困の原因は少しずつ明らかになってきています。そして、世界的にも飢餓や疫病によって死亡する人は減っており、人口も増えています。こうした一日を2ドルで生活するような人々、絶対的貧困の問題は少しずつ改善されています。

一方、先進国では貧富の格差によって人々が感じる「相対的貧困」の問題が出てきています。これに関しては、心理学的なアプローチや、主観的幸福度を高める為の何か新しい取り組みが必要になるのではないでしょうか。

 

ここからが追記部分です。

 

以上、ここまでが大体にして意識が高い人達による貧困を救う為の方法が書かれている本に記されている事です。しかし、では貧困者自身ができる事、すべき事はないのでしょうか。多くの貧困者は社会的、経済的弱者であり、自分でできる事は少ないです。努力でできない事はないという一種の強者もいますが、多くの人は何かしらの社会的援助は必要でしょう。一種の強者でさえ、何らかの支えがあっての成功であるというケースも多いと思います。

こういう事を言うと多くの人が「でも、弱者とは言っても自己責任の怠惰な人もいる。ギャンブルや酒などに多くのお金を費やし、自ら貧困になる原因を作っている人もいる」と言います。

そうした行動によって貧困が悪化するのは確かです。しかし、この場合、何故その人がそうした行動に走ってしまうのかを分析する事も重要なのではないかと私は思います。つまり、社会によって生まれる依存症について考えなければなりません。

社会の圧によって、人間が行き場のないストレスを抱え、それを解消しようとして破滅的行動に走ってしまうという事はないとは言えないと思います。それも個人の心の弱さと言ってしまえばそれまでなのですが、恐らく治安が悪い地域ほど、薬物依存や飲酒による依存が多いという統計データがあるのではないかと私は考えています。これについてはソースを探しています。

酒、ギャンブル、薬物、のみならず買い物や窃盗(クレプトマニアの事です)においても一種の依存というものは存在します。そうした行動を治療する施設も存在します。

自分自身の問題に真摯に向き合う事が必要です。又、その為には、その人を支える支援者も必要です。

見栄というのは敵です。社会の、例えばSNS(和製英語なので正しくはソーシャルメディアですが)では人々はキラキラした面ばかりをアピールしています。そうなると多くの人は劣等感を抱きます。実際に、ネット環境によって幸福度が低下した例としてブータンを挙げる事ができます。人は人と自分を比較して努力したり、評価し合ったりしますが、その活動が自己肯定感や自尊心を傷つける場合があるという事です。

見栄を張る為に消費活動に生活レベル以上のお金を費やして借金を抱えてしまう買い物依存というケースを容易に想定する事ができます。資本主義においては人にお金を貸し付けて利ざやを得る商売が合法的に営まれています。例えば、リボルビング払いについて多くの人が危険性を訴えていますが、前払い制などの形で様々なサービスが私達の生活に組み込まれ、忍び込んでいます。

こういう事によく注意する必要があります。教育レベルが十分でない場合、お金を借りてどれ位の負担を抱える事になるのかが理解できていない場合もあり得ます。

ここで前述した内容に戻ると、社会の側がそう認識し、要請しているように弱者の側も基本的な勉強、学校で教わる基礎的な知識に関する学びを疎かにしてはならないという事に繋がるのです。

 

gomiblog.hateblo.jp

 

弱者の側、貧困者の側は、忍び寄る人間を依存させる様々な誘惑を何とかはねのけつつ、自分の生活を豊かにする小さな投資活動を積み重ねていく必要があります。