スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

そうは言っても5000兆円欲しい

この記事には特筆すべき内容は全くない駄文です。

時間を有効に使いたい方は、絶対に読まないで下さい。

私が隙間時間に思いつきで書き散らした文章です。

 

愛があればお金なんていらない。

お金で買えないものがある。

愛はお金で買う事はできない。

確かにそうですね。否定しません。

ここで言う愛というのは要するに、恋愛というよりも博愛でしょう。人からの信用があれば、お金はなくてもなんとかなるとか、お金で信用は買えないとか、そういう事ですね。いやいや、お金ないと愛があっても困るよとか、お金で信用が買えるよという人もいるかも分かりません。ですが、ここで言っているのは、借金があっても仲間が助けてくれるような信用に厚い人とか、誰かを殺傷して失った信頼を賠償金で取り戻す事はできないという内容ですので、誤解なきようお願いします。

 

まあ、そうは言っても5000兆円欲しいですよね。

5000兆円あれば、自分の欲しい物を買って、貯金を作った上で慈善事業だってできそうです。ああ、5000兆円降ってこないかなあ。

 

皆、こんな事を一回は考えた事があるでしょう。私の友達は、絶対に当たらないような低い確率である事を説明しても未だに宝くじを買っています。

そもそも、愛がお金と対立するという事を誰が言い出したんでしょうか?

哲学者でしょうか?

私の知る限り、それなりに古くて確実そうなのは聖書です。

キリスト教の聖書ではこう説かれています。

「だれも二人の主人に仕える事はできません。一方を憎んで他方を愛する事になるか、一方を重んじて他方を軽んじる事になります。あなたがたは神と富とに仕える事はできません」マタイの福音書6章24節 新改訳聖書2017より引用

他にも、金銭を愛するものは天国に入れないとか、富んでいるものは哀れだとか、結構強い事が書かれています。

 

これについて私は、結構長年悩んできました。最近だと、お金は汚いものではないからお金と愛は両立するだろうという人が結構います。

要するに、シンプルに言って、汚い事をして稼いでもそれは信用にはならないという事だと思います。後、富を得た者が、弱者に対して冷淡である事を戒める内容も含んでいるかも知れませんね。

どう考えても、お金がないと生活が困りますし、貧困だと、様々な危険が伴います。

できる事なら、世界中の人がそれなりに金銭的に恵まれた方が良いと思います。

そうなれば、お金を巡っての争いも減りそうですしね。

 

何だか適当な事を書き散らそうと思っていたのに、真面目な話になってしまいましたので、脱線して適当な事を放言したいと思います。

 

お金を稼ぐ為の汚い事って何でしょうか。

聖書では盗みや殺しの他にも売春や虚偽による詐取も不正とされています。

盗みや殺しはともかくとして、最近は詐欺も多いし、体を売ってお金を稼ぐ人も多いですね。それどころか良く考えれば、闇バイトで、人を殺しちゃう人もまあまあいますね。

 

でも汚くないお金の稼ぎ方って何でしょう。

犯罪をしないのは大前提として、さっきの宗教的倫理を踏まえると、こうなるのではないでしょうか。

農業畜産などの直接的生産事業。

肉体労働で何かを作る。製造業、建設業。

人を騙したり搾取したりしない範囲でのマネージメント、流通、販売。

人を騙さない広告産業。

こんな感じでしょうか。

何だか共産主義っぽいですね。

それもその筈、マルクスは結構、聖書に影響を受けているんですよね。

でも、マルクス主義は暴力革命を肯定しているので、そこが全然違いますね。

社会主義共産主義はうまくいかないという事はある程度、歴史が証明しています。必要なのは新しい資本主義だとか言われますが、なかなか判然としませんね。

そうこうしている中で、又、遺伝子研究において進化心理学とか言う名目で優生思想じみた考えが台頭してきたり、加速主義と言って福祉や社会的な扶助よりもテクノロジーに投資して技術革新を加速させる事によって、社会問題を一挙に解決しようという人が現れたりしていますね。

アメリカ大統領選でも、トランプを支持する人の中にはリベラル啓蒙思想逆張りをする加速主義者が結構含まれているのではないかという話もありますね。

社会は混迷を極め、宗教者は終末が近いと言っていたりします。

 

あー5000兆円欲しい。