最近良くエンタメの大切さを感じるようになりました。
宗教家はエンタメは世の中の享楽であり、低俗で下らないと言ったりします。実際に、聖書にそういう箇所があり、それを参照して世の中の娯楽を批判したりします。
又、聖書とは無関係の思想においても、高尚なものと低俗なものがあるという風潮はあります。例えば、小説というのは、大説(四書五経)に対して低俗なものであるという位置づけでした。それがいつの間にか、小説は哲学的で高尚なもので、アニメや漫画やゲームは下らないという風になっています。純文学でも、ろくでもない内容のものも結構あるのですが(実際に、遊び人の作家はかなり多いです)いつの間にか教科書などにも採用され、それが上等なもので、それ以外は愚かなものであるという風になっています。
お笑いや芸能にも似た所がありますね。落語は元々庶民の娯楽でしたが、今は高尚な伝統芸能みたいな感じになっています。能や狂言や神楽ももしかしたら、大昔はそうだったかも知れず、歌舞伎に至っては大衆演劇でした。歌舞伎役者は、今でいうアイドルみたいな感じだったと思われますし、歌舞伎者と言えば、今で言えばホストみたいな感じだったんじゃないでしょうか。大衆演劇が芸として昇華されると、それ以外を見下すようになるというのは良くある事のように思います。
まあ、実際に下らないものはあるのかも知れません。エロ、グロ、ナンセンス、バカバカしいもの、何らかの形で気持ち悪いと感じるもの等など。
しかし、高尚と低俗の峻別は結構難しいように思います。高尚とされるものの中に、そういう要素がないとは言えないですし、低俗に見えるものの中にも一片の輝く部分があるという事もあるのではないでしょうか。
最近、こんな文章を書きました。その中で、西欧の人や西欧の人を引き合いに日本人を批判する出羽守の間で、日本人はアニメや漫画やゲームを楽しむ幼稚な人間だという物言いがなされる事があるという事に触れました。時にはロリコンと結び付けて語られる事もありますね。
しかし、西欧ではカトリックが実際に小児性虐待の事件を起こしていたり、富豪のジェフリー・エプスタインが同様に、子供を集めた売春する別荘を作ったりしていました。又、ポリティカルコレクトネスの観点から、日本は野蛮な死刑を採用しているので遅れていると言われたりします。実際に、冤罪はありますし、その観点から死刑を批判するのは間違いではないと思うのですが、西欧では凶悪と見なされた人間は裁判にかけられるまでもなく、その場で射殺です。それに銃社会でもあります。(国によって規制状況には差がありますが)
性的マイノリティに対しても、日本は遅れていると言われたりしますが、実際にはキリスト教やイスラム教の方が聖書の影響で、彼らを弾圧しています。日本は仏教だったため、そういう影響がむしろ比較的少ないと言えます。
他にも無数に色々な事が言えます。日本人は差別しない訳ではないですが、黒人を奴隷としてアフリカから連れてきて、二級市民として扱っていたのは西欧であるとか、ネイティブアメリカンなどの原住民を虐殺した過去とかですね。日本も、かつて様々な外国との関係の悪化から戦争を起こし、侵略をしている訳ですが、それを言ったら西欧の方がずっと酷いですよね、そしてその総括をしていないよね、という話になるのも無理はないかなと思います。
西欧のグローバリズム的な倫理が、結局はオリエンタリズム的な、西欧を中心として東洋等の諸外国を否定的に見る傾向があるというのは度々指摘されている所です。ポストモダニズムなども、そういう西欧中心主義、白人中心主義を批判してきましたが、結局は、同じような方向に巻き取られているように見えます。
今でも、共産圏と資本主義圏の対立構造、冷戦の構造は継続しているように見えますし、中東情勢もイスラエルを支援するアメリカやヨーロッパ、イスラム圏との対立が激化しているように見えます。ポリティカルコレクトネス、所謂ポリコレは機能している部分がなくはないですが、多様性の合い言葉は、宗教の排他性の前にはむなしく、実際の多様性は実現されておらず、コミュニタリアニズムにおいては、結局は共生社会ではなく、共同体の中に沢山のゲットーを作っただけではないかと揶揄されています。
話が逸れましたが、漫画やアニメやゲーム、はたまた芸能娯楽は下らないのでしょうか。私はそうは思いません。
昨日、ある人から、難しい事を考えているのに、ゲームとかやっちゃう所が好きですと言われたのですが、これは全く逆で、難しい事ばかり考えて、あらゆる世の中の不条理、不正義に怒り、ネットで逆にヘイトを撒き散らしているような人間になりたくないので、ゲームをしていた方が遙かに穏便で平和であり、ましであると考えているのです。
漫画やアニメやゲームが世界を変えるとか、平和を作るとは思いませんが、そういうものを大切にしている世界の方が遙かに平和であるとは言えるでしょう。
又、思想、言論が世界を変えるとかも全く一片たりとも信じていない(科学技術が世界を便利にするみたいな事はあると思いますが)のですが、エンタメが世界を穏やかにする可能性にはかなり期待して良いと思っています。
昔は私も、TVの低俗なお騒がせバラエティ番組が嫌いでした。そういう番組は唐突に人を馬鹿にする事があり、無くなればいいのにとすら思っていました。
しかし、今、俯瞰して見ると、ウクライナ、ロシアの戦争、イスラエルと中東各国との緊張状態、実際の戦闘、アメリカの内政の悪化、中国の財政破綻、その他、アフリカでの貧困問題等など、社会は混迷の状況にあります。こういう国はふざけてはおらず、むしろと真面目に宗教をやっていたり、哲学をやっています。この真面目さ、真面目すぎが良くないのではないかと最近、思っています。
もっと人間はバカバカしいものや、面白いもの、下らないものに笑っていて良いのではないかと思い始めています。もちろん、政治家は真面目に民衆の暮らしを考える必要があると思いますし、全てが巫山戯ている社会は全然駄目だと思いますが、つくづく、日本のエンタメを見ていると平和で良かったと思うのです。
まあ、日本でも様々な社会問題はありますし、スパイが情報工作をしていたりもすると思いますし、既に何らかの戦争の影が忍び寄っているとは言えると思いますが、実際の戦争状況にはなっていない訳で、それは戦後、戦争の反省を生かし、今は平和を追い求めるようになった社会の一つの成果なのではないかと思うのです。
又、こんな話を聞いた事があります。確かドラゴンボールですが、アニメを楽しみにしていた難病の子供が、その放送、ある映画上映を心の支えにして生きていたと。声優の野沢雅子さんが話していたのを覚えています。病気で苦しんでいましたが、アニメを楽しみにする心が、その子供を生かしていたのです。結局、その映画を見たすぐ後に亡くなられたそうですが、その映画がもし無かったら、その子はそんなに頑張れたでしょうか。家族との時間を持てたでしょうか。
宗教がこういうエピソードを紹介している事があります。神様が、救世主が人々を助けるのだ、心の支えなのだと。しかし、遙か昔の事に思い馳せるのは難しく、イエスが十字架で死んだのは2000年以上前で、リアルには感じられない人もかなりいると思います。アニメを宗教の代わりにしろとは思いませんが、子供達の気持ちは分かるような気がします。
結論としては、皆、戦争についてツイートして憎悪を増幅させるのではなく、アニメや漫画やゲームをして考察したり、意見交換したりした方が良いよという事です。
戦争より「あんぱんまん」を見た方が良いですし、是非、子供に読み聞かせして下さい。困っている貧しい人にパンを分け与えるという事を、否定的に見る人はそうそういないでしょう。正義の名の下に、人は残酷になります。神が味方にいると思えば尚更です。そんな時、私達は何を思い出すべきなのでしょうか。
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