この言葉はレイモンド・チャンドラーの小説、プレイバックの中に出てくる台詞です。
私立探偵フィリップ・マーロウが「あなたのように強い人が、なぜ、そんなに優しくなれるのか?」と問われて答えた言葉です。原文はこうですね。
「If I wasn‘t hard, I wouldn‘t be alive. If I couldn‘t ever be gentle, I wouldn`t deserve to be alive.」
機械的に翻訳すると「もし私が強くなければ、私は生きていないだろう。もし私が優しくなれないのであれば、私は生きていてはいけない」になりそうですが、色々な訳があります。上述したのは村上春樹氏の翻訳によるもので、これが有名になっています。
このフィリップ・マーロウシリーズは、所謂ハードボイルド小説です。
ハードボイルド小説とは「ハードボイルド…つまり、堅くゆでた卵」のように感情に流されず、冷徹に判断するタフな人格の登場人物の小説の事です。
昔は、探偵と言えば思索型の造形が多くて、例えば探偵小説のさきがけであるシャーロック・ホームズも推理を得意としていましたよね。(ホームズは格闘もできますが)推理小説から、ハードボイルド小説への転換期というものがあり、今は又、全く違う多様なジャンルになっていますが、そういう時期に書かれたのがチャンドラーのマーロウシリーズです。日本のアニメで言えば、ちょっと違いますがシティハンターみたいな世界観でしょうかね。古い所で言うと松田優作さんの探偵物語とかもありますね。
実際に、アメリカではパルプマガジンの探偵小説の流行によって私立探偵が増えたらしいですね。日本でも週刊少年ジャンプのスラムダンクに影響を受けてバスケ少年が増えたみたいな事が起きましたが、それと似ています。そういうタフガイに憧れる少年は、ちょっと不良的な人が多かったらしく、日本で言えば無頼者が岡っ引きになるみたいなイメージでしょうか。多分、チャンドラーはそういう世相に関しても感じる部分があったのかも知れませんね。
「プレイバック」は非常に謎めいた小説です。それまでは、警察を信用しなかったマーロウが警察に敬意を示したり、いきなり謎の老人が出てきて結婚して家庭を持つ事と、(キリスト教の)信仰を持ってまっとうに生きる事を説き出したりします。実際にマーロウは最終的に恋人の所に向かいます。それまでは「タフに生き、無頼であり、人に依存せず自立した男らしい男として生き、事件の悲哀の中で傷付きながらも、涙を見せず、淡々と活動していた男が」です。
プレイバックはその意味では、改心とか転換の物語なのかも知れません。
弱者男性がどうしたらモテるのか知りたいというリクエストがあり、記事を書きましたが、まさに弱者男性に読んで貰いたい作品です。
キリスト教には色々と問題があると思いますが、イエスのような人物を英雄と感じる人は少なくない筈です。イエス・キリストを一つのヒーローの雛形と見る事もできますし、ソクラテスを探偵のさきがけと見る事もできるかも知れません。
少し前に完結しましたが、漫画「僕のヒーローアカデミア」では、主人公の憧れのヒーローであるオールマイトが幼少期に「あんぱんまん」を読み聞かせて貰ったというエピソードがありました。やなせたかしさんはキリスト教徒ではありませんが、自らの顔であるパンを分け与え、ばいきんまんを懲らしめても殺害しないで弱者を助ける自己犠牲のヒーローはアメリカ人にも人気があるようです。こういう部分に人間の普遍的な正義や善に対するイメージが現れているのではないでしょうか。
マーロウは人が人を憎み、いがみ合う世知辛い世の中で苦しみながらも「善良」であろうとする探偵です。その善良さが時には腐敗した警察とぶつかる事もあります。そうして、少しずつ自分の中の何かが麻痺してしまい「ハードボイルド」になってしまうのかも知れませんね。そんな主人公に幸せになってもらいたいと思うのは、私だけでしょうか。自分が傷ついても苦しくても誰かの為に命を懸ける。そして、小さな見返りしかなくても人を助ける。そんなヒーローがいたら、涙を禁じ得ません。
弱者男性に欠けているのは、もしかしたらこういう視点かも知れません。
女性が言う「優しい人」とは単に何にでも弱腰の人ではなく、何か不正がある時には断固たる姿勢で立ち向かい、弱者の為に自分を犠牲にしてでも助けるような人なのかも知れません。
正しく生きても苦しむ事はあると思います。
因果応報などと言いますが、善良な人が災害や事件事故に巻き込まれて死んでしまう事もあるように思います。
それでも、そんな苦しい世界にあっても善良である事を諦めない。
強くなければ生きていけないから、強さの為に人間の心が頑なになって、冷え切ってしまってもおかしくないのに、それでも優しくあろうとするのが真の強さなのかも知れませんね。
人に優しく接する為には、一定の余裕が必要です。経済力もそうですし、その他の部分、健康とか精神性でもそうです。この余裕が無くなると、人間は自分の事で手一杯になります。そういう時、人は知らず知らずの内に、人を傷つけてしまうかも知れません。そして、そんな風に自分の事で精一杯の人間同士がいつの間にか憎み合い、いがみ合うのだとしたら、悲しいですね。
私は、こう言いたいです。
人は苦しみの多い世界に生まれてきます。
強くなくても、優しくなくても生きていても良い。
でも、そうである為には誰かが強くて優しくなくてはいけないのかも知れない。
だから、ほんの少しでも強くあろう、優しくあろう。
優しさを決して忘れない誰かの為に。
弱者男性とは、卑屈な人の事を指すのでしょうか。
それとも、優しくあろうとして、翻弄されてしまった人の事なのでしょうか。
あんぱんまんのテーマ曲では何の為に生まれて何をして喜ぶのか?何の為に生きるのかと問われます。
私も分からないまま終わるのは嫌です。ですから、もがき苦しみながらも生きています。
「答え」は載っていないかも知れませんが、探偵小説に一時はまっていました。結構、哲学者にもファンが多いみたいですね。おすすめの作品です。是非、手にとってみて下さいね。