スクラップ置き場

社会の底辺に生きているニンゲ…ゲフンゴフン、ぬこが書いている文章です。

流れに乗るという意識

私は今、運送会社に勤め物流の仕事をしている。

物流の仕事に限らず、世の中には流れというものがある。

人によっては、それを「空気」とも呼ぶかも知れない。

以前、東京大学の西成教授の著作について少し紹介したが、渋滞学というものがある。これは西成教授が独自に作り出した分野で、人やものの渋滞を解消する事を目的とした学問だ。

最近気になっている事(働き蟻の二割はサボっているというのはどうも間違いである) - スクラップ置き場

車の渋滞は、急ブレーキによって起こる場合が多いという。

だから、安定した流れを維持する為には適度な車間距離が必要なのだ。

それと同じに、人間の動作にも一定の余裕が必要だ。人間がギュウギュウ詰めになっていれば、流れは悪くなる。同じにスケジュールを詰め込みすぎれば流れは悪くなる。

 

仕事にも流れがある。物事にも流れがあり、社会全体に流れがある。

良い流れもあれば、恐慌(パニック)に繋がるような悪い流れもある。

流れを見極めて、良い流れを作り出す事、流れを止めない事、人を躓かせない事、悪い流れに流されない事が必要だ。

個人の能力を磨くのは大切だが、組織で働くときには、個人技だけではなくて集団全体の流れを意識する必要がある。

 

物流の仕事ならば、一つでも多くの荷物を運んでお金を稼ぐ事も大切だが、商品が安全に時刻までに運べる事も大切だ。商品の損傷、遅配、誤配、そして事故を防ぐ必要がある。物量をこなすだけではなくて、一定の質も担保されなければならない。

両立させる為には、単に自分目線で物事を考えるのではなくて、目には見えない(場合によっては可視化される事もある)流れを見る事が必要だろう。俯瞰する事も必要だろうし、時には立ち止まる事も必要かも知れない。

 

社会全体の問題について、私はたまに考える。よく陰謀論を唱えがちな人は誰か、あるいはどこかの悪の組織が世の中を裏から支配しているとか悪くしているとか考える。だが、本当にそうだろうか、私は違うと思う。

パニックというのは小さな石ころに誰かが躓くような小さな変化から起こり、流れが壊れる事によって生じるのだと思う。

西成教授は群集心理の専門家とも仕事をしているそうだが、人の心は移ろいやすいしバラバラで、逆に何か事件が起こると、一カ所に殺到したりする事もある。そういう時、人は集団の流れの事よりも、自分が助かる事や損をしない事、あるいは得をする事ばかりを考えているのではないか。

要するに、社会問題は陰謀というよりも、個人個人が秩序なしにバラバラに意思決定し、更にその動きが、集団の流れを阻害する事によって生じると私は考えているのだ。

 

西成教授は、大きな問題を解決しようとすると、数学とか物理学とかの既存の枠組みを超えて大きく物事を捉え、突き抜けていかなければいけないという旨の事を述べている。西成教授は、だから人々が互いに思いやるような仏教の精神が必要ではないかと述べる。特定の宗教が正しいかどうかはともかくとして、趣旨は分かるし完全に正しいと思う。要するに、社会問題の解決の為には自然科学や数学だけではなくて、倫理の問題に取り組む必要があるという事だ。

 

人を傷付けないとか、迷惑をかけてはいけないと言われる。

それはその通りだろう。

だが、全く人を傷付けてこなかったとか、誰にも一切迷惑をかけてこなかったという人はいないだろう。悪口はいけないが、批判や指摘は時には必要だろう。それを区別出来ない人もいる。

どうして、一定の衝突は避けられないのか、どうして痛みはなくならないのか、それは人間が生きていくにあたっては「摩擦」を避けられないからだ。

 

願わくば、良い流れが社会全体を潤し、すべての人々が幸せに生きていけるような世の中にならん事を。