人を好きになるのは難しい。
これは恋愛の話ではない。
人を愛するという事について考えてみる。
あなたに親切な人なら、あなたはその人を大切にしようと思うだろう。あなたに特別親切ではないけれども、特に危害を加えてくる訳ではない人に対しては、親切にしようとは思わないかも知れないが、配慮するのは難しくない。
しかし、あなたの存在に無関心であなたに全く配慮しない人を愛するのは難しい。
また、何かしらの理由があるのかも知れないが、あなたに危害を加えてくるような人を愛したいとは思わないだろう。
隣人を好きになるのは難しい。
隣人の範囲が広く、遠くなる程に、好きになるのが難しくなる。愛するのが難しくなる。
博愛は素晴らしいが、人類全体を愛する等と言うと偽善臭くなるのはその為だ。
これは、私が考えて実行している事で、強制するつもりはさらさらないのだが、人を愛せない人や、人間を好きになれない人は参考にして欲しい。
私は人間には善い部分や素晴らしい部分と、目を背けたくなるような醜い部分がそれぞれにあると思う。善良な人もいれば、悪い事ばかりする人もいる。まあ、当たり前だ。
戦争の噂を聞けば、人間は愚かだとか醜いとか感じても仕方がない。
酷い目に遭えば、人間を嫌いになる人がいてもおかしくはない。
一つ提案する。人間を嫌っても良いと考えてみる。人間は嫌いだが、動物は好きだなんて言う人間もいる。全ての人を好きになる必要はない。好きになる努力とか、愛そうとする事は尊いが、どうしてもそれが出来ない場合もある。
そして、もう一つ提案する。
人を嫌っても良いが、黙っておく事、そして憎まない事である。嫌いな人とは付き合わず、そっと距離を置いても良い。しかし、憎しんで、その人を苦しめる事ばかり考えるような事はしない。忘れる。
良く復讐は何も生まないとか、赦せとか、復讐してはならないとか言われる。
逆に復讐した方がスッキリするから、復讐すれば良いとか言われたりする。
私は、こう考える。
人を好きになる事がたとえ出来なくても、相手の背景にも何か理由があると考えて赦す事が出来るなら、それは十分過ぎる程、人に親切にしていると言えると。
悪い人や、あまりにも相性が悪い人に親切にする必要はない。その人の存在を否定せず、赦しているだけで十分に愛がある。
苦しくてもどんな人をも大切にしなければならないとか、愛するべきだとか考えている人は、相手の状況や態度を無視して言葉に呪縛されているのではないか。
真面目な人程、人を嫌う事を悪い事だと考えがちだ。
しかし、限度はあるだろう。
こうした人との距離の取り方を再考する事は時折、必要だ。
人に愛される為には、自分から人を愛さなければいけない等と言う。
しかし、愛するという事は言う程、簡単ではない。
愛があれば、何でも受け入れられるのか?
それとも愛するからこそ、突き放さなければならない場合があるのか。
毎日が学びである。
人に嫌われるのには理由があると言う。
しかし、その理由がどうしようもない場合もある。全ての人を好きになるというのは、嫌われても憎み返さないような強さを持っている懐の広い人間にしか出来ない事だ。そして、私は誰一人、人を嫌わず全人類を愛している人をまだ見た事がない。