「私は何の為に生まれたのだろう?」
「どうしてこの世界はこのように存在するのだろう。」
そういう哲学的な問いについて考えた事はあるだろうか。
興味関心からそういう事を考える人もいるし、とても辛い経験を通してそう問い掛けずにはいられないような人もいるかも知れない。
ともかくとして、私達は今、こうして生きているし、生まれてしまっている。
世界も何故か、このようにして存在している。
「実存は本質に先立つ」と述べたのはフランスの哲学者サルトルだが、確かに私達は、生まれたいと願った訳ではないのに、この世界に生まれ落ちたのだ。
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私達は望む望まざるとに関わらず、この世界で生きていかざるを得ない。
同じくフランスの哲学者パスカルは、生きている意味は幸福になる事だと述べた。
幸せとは何なのだろうか。とても難しい。
衣食住が揃っている事だろうか。しかし、衣食住が揃っていても幸せではない人もいる。経済的に満たされている事だろうか。しかし、お金持ちでも満ち足りていない人はいる。こう考えてみると、貪欲であるという事が人を幸せから遠ざけているのかも知れない。つまり、幸せになろうとすればする程に「人と自分を比較して」不幸になるのである。どんなに優れた人でも、全てを手に入れる事はできない。そう考えてみると、どこかで自分に与えられたものに満足する必要があるのかも知れない。
ある精神科医が、人生を楽しむ事の重要性を説いていた。
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彼によれば、日本人は休みの日でも疲れた顔をして楽しんでいないそうである。
それに比べて、アメリカは、貧困層でも人々が笑顔で休日を過ごしているという。
もちろん、アメリカにも様々な問題がある。経済格差は日本よりも大きいし、銃社会だし、犯罪も多い。だが、休日の過ごし方という一点では私達は彼らに学ぶ所があるのかも知れない。
娯楽について考えてみたい。
娯楽とは、大雑把に言えば楽しむ事であり、人生の慰めである。
娯楽は重要だ。もし、娯楽が無かったら人生は無味乾燥としたものになってしまうだろう。極端に厭世的で宗教的な人でない限り、人は何らかの娯楽を楽しむ。
社会的に良いとされている娯楽と、良くないとされている娯楽がある。
ただ、人に迷惑を掛けない限りは、人それぞれ好きなものを楽しむ自由がある。
自分の好きな事をすれば良い。犯罪でない限りは。
しかし中には、自分の好きな事が分からないとか、どうやって楽しめば良いのか分からないという人がいるかも知れない。この文章は、そういう人に対して、私が良さそうだと考えている娯楽を薦めるものである。
飲む打つ買う等と言う言葉があるが、飲酒、タバコ、ギャンブル、性風俗産業の利用はここから除外する。こういうものが好きな人は、私に勧められようが否定されようがするだろうし、これも人に迷惑を掛けない限りは、何ら取り締まられるものではないからだ。ある種の宗教においては、こうしたものは悪徳とされるかも知れないが、私はそういう事を述べて、人々を啓蒙したい訳ではない。酒とたばこが体に悪い事は知れ渡っているだろうし、ギャンブルで身を持ち崩す人も後を絶たない。性風俗産業に関しても、ポルノを日常的に見る事でドーパミンが過剰に分泌され、小さな刺激では満足出来なくなり普段の集中力が低下する事が示唆されていて、それは私が改めて詳細に説明しなくても、皆、薄々知っているからだ。
健康に良いのは運動である。一般にはそう言われている。
日の光を浴びようとか、毎日8000歩程度歩こうとか、座りすぎは寿命を縮めるとかは言い尽くされる位に言い尽くされている。
問題は、どんな運動をしたら良いかだ。これは意外な研究結果がある。
実はウォーキングよりもラケットを使ったスポーツを行う人の方が、寿命が長くなると言う。アメリカの医学専門誌『Mayo Clinic Proceedings』に掲載された研究では、テニスをする人が長生きするという結果が出た。詳しくはこちらの記事を参照して欲しい。
「テニスをしている人」が長生きしやすい理由 | The New York Times | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
この記事によると
『ラケットを使用するスポーツやその他のチームスポーツの社会的な側面が、寿命を長くする主な理由だとオキーフは考えている。
「社会的なサポートがストレスを緩和させることは別の調査でもわかっている」とオキーフは指摘する。「パートナーやチームを必要とするスポーツをするときのように他者と一緒になって物事を行ったり、触れ合ったりすることには特別な心理的かつ生理学的な効果があるのかもしれない」とオキーフ。それが運動の効果を高めると考えられる。
オキーフいわく、その可能性については、異なるタイプの運動を直接比較する無作為抽出実験などによる検証が必要だ。
だが今のところは、1人で走ったりサイクリングをしたりしている人は、一緒にできるグループやパートナーを見つけることを検討するといい、とオキーフは提言する。』(文中のオキーフとは、研究の共同執筆者、ジェームズ・オキーフ氏の事)
要約すると、ラケットを使うスポーツは、人とのコミュニケーションが発生する為に、健康に良い可能性があると言う事だ。
テニスを楽しめるような経済的余裕がある人間が長生きしているだけの可能性もあるが、それを差し引いてもコミュニケーションは人の健康に良い影響を与えるようである。
又、この研究結果を裏付ける別の研究もある。
一人暮らしではなく"孤独と感じること"が認知症リスクに|Medical Tribune (medical-tribune.co.jp)
オランダ・アムステルダム自由大学医療センター精神科のTjalling Jan Holwerda氏らによって英医学誌「Journal of Neurology, Neurosurgery & Psychiatry with Practical Neurology」に報告された研究結果によれば、「一人暮らしそのもの」ではなくて、「主観的に孤独と感じる」事が認知症のリスクになっているそうである。
人が孤独を感じるのはどういう時だろうか?それは一人暮らししているからではない。どんな人とも社会的な繋がり、信頼関係がないという時だ。
ラケットを用いるスポーツにはコミュニケーションが発生する。
そして定期的にスポーツを楽しむ人は、たとえ一人暮らしでも孤独ではないという事ではないだろうか。
お喋りを楽しむ仲間がいる事が認知症のリスクを低下させる。
認知症になるとすぐに死んでしまう訳ではないが、様々なリスク要因にはなる。
こう考えてみると、健康で長生きする為にはコミュニケーションと運動が必須である事が分かる。
長生きしたくないという人もいるかも知れない。
早く死んでしまいたい。面倒くさい。生きているのが苦痛だ。
だが、人間はそうすっぱりと死ねるものでもない。
簡単に死んでしまうような人もいるが、弱る時にはじわじわ弱る。
苦しみが長く続く。だから色々な対策を練っておく必要があるのではないか。
結局、最大の娯楽…楽しみとは、気の合う友達と定期的におしゃべりする事ができるような信頼関係にあるのではないかと私は思う。コミュニケーションが大きな目的であるSNSがこんなに流行っているのも、人が本質的に交流を求めているからなのかも知れない。
しかし、ここで問題になってくるのは、気の合う友達が簡単にはできない事である。
そして、これが私の一番言いたかった事なのだが、その理由は、大人になると思想が固まってしまい、自分と合わない人間に合わせようとしなくなるからではないか。人は自分の考えが正しいと思いたがる。
誰かの言いなりにもなりたくないし、自分の思うままに振る舞っていたら人とは合わない。
恐らく、本当に必要な事は、他人の間違いや意見を受け入れる適度な柔軟性を持つ事と、ブレない軸を持つことだ。
この軸が、出来るだけ普遍的な真理に近いものであれば、人とのコミュニケーションで対立しても、自信を失わなくて済むのではないか。
その為には学ぶ必要があると私は思う。
学ぶ事もストレスだが、全てのストレスを避けると、かえって大きなストレスを抱える事になるのではないか。
人間関係はストレスだ。
しかし、生きている限りストレスはなくならない。
ストレスは摩擦に似ている。摩擦のない世界には住む事ができない。
適度な摩擦が必要だ。ストレスもそうなのではないか。
人付き合いが面倒だからとそれを避けていると、楽しい事も失われてしまうのかも知れない。楽しい事と、適度な面倒、これをバランス良く引き受けるのが、人生を楽しむコツなのではないかと私は思う。
だから私は学びたいと思うし、人付き合いが面倒でも、完全にその可能性が閉ざされない限りは誰かとは対話していきたいと思っている。